故プミポン・タイ国王と天皇陛下との関係

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10月13日に崩御されたタイの故プミポン国王とは一体どんな方だったのでしょうか?

プミポン国王は1927年に米国で生まれ、小学校から大学までをスイスで過ごしました。兄の急死で46年、18歳でチャクリ朝ラマ9世として即位されました。他記事でも書きましたが、70年代以降の民主化を求める学生蜂起や度重なるクーデターや政権争い、共産主義勢力の伸長、外交摩擦などなど。タイの激動期に立ち会い、政治危機では、何度も事態を平和的に収めてきました。

そんな故プミポン国王ですが、タイに住んでまず驚くのが国王への敬愛度です。タイには生まれた曜日ごとに決められた色があるのですがプミポン国王は、誕生日が12月5日の月曜日生まれになります。そのため月曜日の「黄色」が誕生色になります。したがって、お写真は黄色。というかむしろ金色です。誕生日の12月5日には国中の人が総出で黄色のものを身につけて国王の誕生日を祝います。

そんな金色のプミポン国王のお写真は、街の至る所、公共施設、公共機関、民間施設、公園や食堂にまであります。ありとあらゆる所に飾ってあります。若いころから最近のお写真まで。何かこういうのを見ると改めてタイというのは王国であって、この国は王様のものなのだなあと感じさせられます。

そして毎日朝8時と夕方の6時に、公共施設、公園、広場、にテレビやラジオで国家が流されます。毎日です。国歌が流れている時は歌わなくても良いですが、直立不動の姿勢をとる必要があります。この姿勢をとらない場合には不敬罪となる場合があります。ただし、医療や自動車などの運転といった業務に関わっている場合は許されます。

初めてタイに訪れ、この光景を目の当たりにすると吃驚することと思います。バラエティでよくあるような時間停止ドッキリのように皆が停止します。そしてこの国歌、実は国王賛美の歌でもあります。

そんな故プミポン国王ですが、実は親日家だったと言われています。日本の皇室とも歴史的に縁があり、天皇陛下と皇后と何度も会談をしています。またホンダのアコードやキャノンの一眼レフといった日本製品を普段から愛用されていたと言われています。まあ親日家というよりただ単に日本製品が好きだっただけなのかもしれませんが。

最後に故プミポン国王と日本の皇室とのエピソード。昭和39年、天皇陛下(当時の皇太子様)がタイを訪問されました。当時タイは国民の栄養不足が深刻で極度の蛋白質不足に陥っていました。プミポン国王は魚類学者でもあらせられる現在の平成天皇陛下に魚の養殖について相談しました。

陛下は日本からティラピアという魚をタイへ50匹寄贈されました。その魚は今では仁魚と呼ばれています。仁は天皇陛下のお名前明仁様の仁がつけられています。そしてタイ語のプラー・ニンのニンも仁の意味があります。ちなみにプラーは魚の意味です。つまり直訳すると仁の魚となります。今ではこのプラー・ニンはタイの国民食になって広く親しまれています。

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2016年10月19日追記

プミポン国王逝去にかかり、天皇皇后両陛下が13日夜から3日間、お気持ちとして喪に服されました。両陛下は14日の午後に河相侍従長を通じてタイ大使館に弔意を伝え、天皇陛下はシリキット王妃宛てに、私的に弔電も送られたそうです。

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