世界に誇れる日本人~木村強

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日本人の知らない日本の偉人

昔の日本人は偉かった。そんな言葉をよく聞くことがあります。現代を生きる私は、それを聞いて悔しくも情けなくもなります。がそれは本当なのでしょうか?実は現代にも偉い日本人は沢山いるんじゃないのか?ただ私がそれを教えられていないから知らないだけではないのか?この 木村強 のように。

木村強氏のことを知っている人が一体どれだけいるのでしょうか?話は第2次世界大戦時のことです。当時日本軍はイギリスが植民地にしていた、東南アジアのブルネイと言う国に侵攻し、これを打ち負かし撤退させました。そして日本はブルネイを、日本国ブルネイ県、として統治下におきました。そこで県知事として赴任したのが木村強氏でした。

木村は当時のブルネイ国王に紹介されたブルネイ人の秘書オマルと共に、ブルネイの統治運営を行います。しかし木村氏は前支配者イギリスとは違い、ブルネイを搾取するのではなく、ブルネイの発展向上に力を注ぎます。

しかしそれは日本軍の意向に逆らっており、下手をすると投獄の危険もある行為でした。そんな木村氏の姿勢に、初めはイギリス同様侵略者として日本を懐疑的に見ていた、国王や秘書のオマル、ブルネイ国民も次第に木村氏に心を開き始めていきました。

また木村氏はインフラの整備を行うだけでなく当時深刻化していた、ブルネイの民族問題の解決にも乗り出していきます。そんな木村氏の頑張りもあり、ブルネイはインフラが整備され、民族間が協調し融和し始めることにより、今の豊かなブルネイの基礎を作り上げていきます。

しかしそんな木村の奮闘は1年余りで終わりを告げ、日本に帰国することになります。そしてそれから時は過ぎ22年後。木村の元に一通の手紙が届きます。その内容は、ブルネイの国王が木村氏に会いたがっている、という内容でした。日本に帰ってからも22年もの間ブルネイのことを一時も忘れることのなかった木村氏は一も二もなくブルネイ行きを決意します。

22年ぶりのブルネイ。国王と謁見する為に王宮に向かうと驚いたことに国王として待っていたのは、22年前木村と共にブルネイの発展の為に働いていた、秘書のオマルでした。実はオマルは22年前の当時の国王の弟だったのでした。そしてその兄から王座を譲り受け、国王となっていたのでした。

2人は時間が経つのを忘れて話ました。そして別れの時、ブルネイ国王オマルは、木村氏に、もう一度ブルネイで働かないか、そう言ったそうです。しかし木村氏はその言葉に驚き・喜びはしたものの丁重に断ったそうです。なぜならブルネイが、すでに木村氏がいた当時よりもはるかに発展していたからです。そんな木村氏の功績もあり、今日でも日本とブルネイの関係は良好です。

・・・なぜこのような凄い話を今の今まで知らなかったのだろうか?自分の身を犠牲にしてまで他国の発展に命を尽くせるような人のことを。杉原千畝と比べても何ら遜色のない、まさに 日本の国士、と呼ぶにふさわしい偉人だと思います。

現在の日本では、証言のみで証拠のない、実際にあったかどうかも分からないようなことが、さも歴史的な事実として教科書等に載っていたりします。正直に言うと私達どころか親の世代、祖父母の世代にも関係のないことを、謝罪しろ!とか、お金払え!とか言われても、知らないよ! と言いたくなります。

まだそれが歴史的な 本当の事実 であれば、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにと、歴史を学ぶことにも意義があるかもしれません。しかし、それならば悪いことだけでなく、きちんとバランスを取り、このような戦争時という極地においても見事な姿勢を見せた、そんな歴史も後世に伝えるべきだと思います。