”日本人街”と言う名の日本人の為の受け皿を世界中にもっと作るべきだと思う

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今現在世界にはおよそ130万人の日本人が住んでいます。そしてそんな日本人が一定の場所に集まることで日本人街を形成させることがあります。そんな海外の日本人街の代表と言えば、

ブラジル、サンパウロのリベルダージ(今は東洋人街と名称変更になった)

アメリカ、ロサンゼルスのリトル東京

タイ、バンコクのBTSプロンポン駅からエカマイ駅周辺

タイ、シラチャ

などが有名です。それ以外にもアメリカでは、サンフランシスコのジャパンタウン、ニューヨークのイーストビレッジ。ボリビア、サンタクルスのコロニアサンファンとコロニアオキナワ。ドイツのデュッセルドルフ、フランス、パリのサンタンヌ通り、などがあります。

しかし、これらは残念なことに日本食屋があったり、日本食材を販売するスーパーがあったりするだけだったりしています。中華街なインド人街などのようにその地に土着した、日本人の受け皿 としての本来の意味での日本人街は作られてはいません。それは一体何故なのか?何故日本人は海外で強固な日本人街を作らないのか?

日本と言う国は、天険の要害である海に四方を守られている国です。そして日本人はそこで育った平和でお人好しな民族です。そのため陸続きで他者他国の土地を奪う・奪われるなんてことは理解できません。DNAにその常識が刻み込まれていないので分からない。だから、他人様の国に自分たちの基盤を作るなんてことは全く考えようとしない。お人好しの日本人は、そういう考えを失礼だと思っているのではないでしょうか?

そんなわけで当然日本人は、海外に出ても、郷に入れば郷に従え、を地で行きます。これはこれでもちろん素晴らしい精神だと思います。しかし、住まわせて頂く、なんて全てを相手に身を任せるような姿勢は、美しくはあってもそれはそれは脆く甘い考えだと思います。

海外では当たり前の様に行われているロビー活動。日本人はそれすらしません。日本国内ではあんなに熾烈にやっているのに。何故か海外ではことさら潔癖であろうとします。内弁慶すぎるだろうと思います。私は別に中国韓国ほど汚くなれとは言っているわけではありません。アメリカやロシアの様に暴力的になれというわけでもありません。それでも最低限の知識として、常識として対処はしておくべきだと思います。

やはり国家の根幹をなす憲法を自分で作っていないからか?アメリカに守られて自分で自分の国を守っていないからか?何故か日本人は盲目的に他人を外国を信じてしまいます。自分たちが品行方正に暮らしていれば相手は加害を加えるわけはない。好意や善意は言わなくても伝わる。しかしそんなことはありません。いくら移住しようが国籍を変更しようが、地元のコミュニティに参加しようが相手からすれば日本人は日本人。

海外においては何かあれば、結局は地元の人に、移住先の国に、都合の良い様に法律や憲法は変えられます。誰も守ってはくれません。海外において自分の身は自分で守らなければいけないません。そのための手段が必要です。信じるなというわけではなく奥の手はもっておけということです。

もし海外に長期滞在、移住している時に何かあった場合、逆に日本で何かあり、すわ海外に離脱、となった場合のためにも。世界規模の日本人コミュニティのネットワークが必要だと思います。そしてその拠点となるのが日本人街なのだと思います。

これは完全な主観ですが、そしておそらく真実なのだと思いますが、日本人街と言うのは、どこの国にも受け入れられ、有難がられると思います。日本人である私が、日本万歳と愛国心を爆発させた自画自賛の妄言ではありません。海外を旅行したり、滞在したりすると分かります。

世界中で日本人が多く集まる街やエリアは、例えその国、その町が相対的に治安が悪いところであっても、日本人が集まっているところは街が綺麗で治安が良くなります。小泉首相はかつて、自衛隊の活動している地域は非戦闘地域だ、と言いました。この言葉は真実でした。日本人の行くところ・居るところは平和になります。

それが日本人が持つ平和主義なのか、日本の文化の緩さなのか、それが何なのかは分かりませんが、何故かその一帯を浄化します。そしてその治安の良さ、その平和な空気を求めて地元の人や観光客も集まります。海外に住んでいる人の為にも、これから海外に出てくる日本人の為にも、地元の人の為にも?日本人が安心して集まれる日本人街を作っていくべきだと思います。


上海の日本人街・虹口: もう一つの長崎

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