チェコ旅行記~プラハの再会

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カレル橋で君を待つ。

メールにはそう書いてあった。

時間を確認すると18時から18時半の30分待つと。

時刻を確認すると現在の時間は18時15分。

間に合うか?私は急いでインターネットカフェを後にしました。

話は2週間ほど前に遡ります。私はブルガリアの首都ソフィアにいました。

ドミトリーの部屋にはトルコのイスタンブールから一緒だった友人が一人。

当時大学2年の夏休み。私はヨーロッパ横断をするつもりでした。

ちなみにその友人とは東南アジアのラオスで出会っていました。

その友人は学生だった私と違い、そのまま大陸を横断する予定でした。

そしてそれから半年後ヨーロッパの玄関口、トルコのイスタンブールで再会しました。

天邪鬼だった私たちは共にイスタンブールからギリシャへ抜ける、

深夜特急で有名な西へ抜けるお決まりのルートではなく、

北上してブルガリアを目指すルートを選びました。

そしてブルガリアのソフィアでその友人と別れたのでした。

友人はソフィアには1泊だけして次の日の電車に乗って、

ルーマニアのブカレストへ行きたいと言っていました。

しかし私はブルガリアが気に入りもう何泊かしたいと思っていました。

それじゃあここで別れますか?

ヨーロッパのどこかでそのうちどこかで会うでしょう?

と言うことになりソフィアで友人を見送ったのでした。

その後はメールでお互いの現在位置や次のルートなどを報告し合っていました。

私がブルガリア、ユーゴスラヴィア、ハンガリー、オーストリア、

そしてチェコに到着したその日に友人からのメールを見たのでした。

カレル橋で君を待つ。

まるで映画のワンシーンのようだ。

これで相手が可愛い女の子だったらよかったのに。

そう思ったのは友人には内緒ですが、すぐさま待ち合わせ場所に指定されていた、

カレル橋に向かいました。幸いにも私はカレル橋近くのネットカフェにいました。

カレル橋に着きました。でも橋のどっち側?それは書いていませんでした。

私が着いたのはプラハ城に近い側の橋の入り口。しかしここにはいませんでした。

と言うことは反対側か。私は走りました。トムクルーズのように。

そう。ここカレル橋はミッションインポッシブルのロケ地になったところでした。

リミットは18時30分。時間はギリギリ。間に合うか?

息を切らしながら反対方向の入り口に着き友人を探しました。

・・・いた!諦めて帰ろうとしている後姿を見つけて声をかけました。

そしてまるで数年間も会っていなかったかのように喜び合いました。

実際に離れていた期間ははほんの2週間くらいなのですが、

海外で再会して別れて、そして再再会する。しかも数か国をまたいだところで。

そんな不思議な状況がお互いのテンションを上げたのだと思います。

お互い盛り上がって再会を喜んでいると今度は後ろから誰かに話しかけられました。

うん?誰だ?と思い振り返ってみると、知っている顔が立っていました。

またまた話は1日前に遡ります。

オーストリアのウィーンからプラハに向かう前日の夜。

ドミトリーの部屋に戻ると日本人が一人いました。

後日彼がブラジルとのハーフだということが分かるのですが。

その時は普通に顔の濃い日本人だと思っていました。

同じ部屋に日本人が泊まっていることをお互い知らなかったため、

大いに話が弾みつい話し込んでいました。

そこでお互い次に目指す目的地がプラハだということが分かりました。

しかしお互いすでに違う時間のプラハ行のバスのチケットを持っており、

プラハで会えたらいいですね、なんて会話をしていたばかりでした。

その友人がたまたまプラハのカレル橋に同じ時間にいたのでした。

まあ今思えばプラハのカレル橋はプラハ最大の観光地といってもいいところなので、

居ても不思議では全然ないのですが、それでもまた国を隔てて再会した、

という偶然の重なりに驚きました。そこでもう一人の友人にも紹介し、

せっかくだから一緒に行動しますか、ということになったのでした。

お互い話をしているとどうやらソフィアで別れた友人が泊まっていたホテルが、

一番安くて快適そうだったので次の日に皆してその友人のホテルへ移りました。

結局4人部屋のドミトリーに友人3人で泊まることになりました。

バックパッカー道中にはありがちなのですが、

一緒に行動すると言っても一日中一緒ということではなく、

日中は皆思い思いに観光して夜だけ一緒にご飯を食べる、という状態でした。

しかし当然観光するところは限られてくるのでそこで会ったりもしました。

その時は仕方なく?昼間からプラハの黒ビールを飲んだりしていました。

そんなプラハでの滞在は結局何だかんだで1週間近く経っていました。

時間に追われているバックパッカーにとって1都市に1週間は長いのですが、

それでもプラハは居心地がよく、また3人で過ごす毎日が楽しくて、

お互い別れがたくなっていました。

1週間後。さすがにこのままダラダラいるのはまずいということになり、

プラハを発つことにしました。ちなみにその後の行先は全員バラバラでした。

私は諸事情があって再びオーストリアへ

トルコからの友人はドイツへ。

オーストリアからの友人はポーランドへ

そんな具合に分かれることになりました。

そしてプラハ最後の晩餐。

なごり惜しげに話をしいると、何と皆名古屋出身ということが分かりました。

嘘っ!マジで!盲点。そういえば出身地の話するの忘れていた。

いつでも日本で会えるということになりしんみりした雰囲気が一気に吹き飛びました。

その3か月後日本の名古屋にて。

チェコのプラハで別れた私を含む3人は名古屋で三度再会しました。

その時の一番の酒の肴は、大陸横断をしてイギリスに着いた友人が、

1年以上かけて横断したユーラシア大陸をシベリア鉄道で1週間で帰ってくる、

という面白行動をして日本に戻ってきた話でした。