スペイン旅行記~トマト投げ祭り

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”ねえ皆でトマト投げ祭りに行かない?”

彼女は突然そんなことを言い出しました。

ん?トマト投げ祭り?何だそれ?

いや何か名前は聞いたことがある気がするな。

それって確かトマト投げ合うお祭りだっけ?

>そうそう。それに皆で参加しようよ。

トルコのイスタンブールでアップルティーを飲みながら話していると、

彼女が唐突にそう言い始めたので初めは何言っているんだこいつはと思いました。

もう一人の友人もそんな顔をしていましたが、しかし話を聞くうちに、

そんな彼女のアイデアがとんでもなく魅力的な提案に思えてきました。

それは私が大学2年の夏休み。

ヨーロッパを横断するためにトルコのイスタンブールにいた時の事。

次の行先はどうしようか迷っていた、たしか7月の20日前後

彼女曰く8月の末スペインのバレンシア州のブニュールという街で、

トマト投げ祭りが行われるということでした。

皆でね、トマトをぶつけあうんだよ。面白そうじゃない?

朧気ながらテレビか何かで見たことがあった気がした。

普通に観光するより確かに楽しいかもしれないな。

あと1か月ちょっとあるからさ、そこで皆で落ち合うってのはどう?

海外で再会する、その響きがとてもそそられました。

そして私は思わず、いいよ。面白そうじゃん

そう答えていましたた。もう一人の友人も、OKと。

しかし3人とも次の行き先はバラバラでした。

私は、ブルガリアに向かうために北へ。

言い出しっぺの女の子はエジプトへ向かうために南へ。

もう一人は深夜特急をなぞるためにギリシャへ向かい西へ。

ということで一旦全員別の方向へ向かうが約40日後

スペインのブニョールで現地集合することに相成ったのでした。

私はトルコから北上し順調にチェコまで向かいました。

そして諸事情があったのでチェコからオーストリアへ戻って、

メールの確認をしてみると彼女からのメールが入っていました。

ごめーんトマト投げ祭りの日付1週間間違えてた(笑)

1週間早くなるからよろしくー

???ちょっと待て!!!

こっちはお前に言われたスケジュールで動いていたんだぞ。

それを突然1週間早まったとは何事だ。

ていうか1週間早くなって事はトマト投げ祭り1週間後じゃねえか。

俺今オーストリアのウィーンだぞ。間に合わねえよ。

そんな思いが頭の中を一瞬にしてよぎりましたが既に私の中では、

トマト投げ祭りはこの旅の目玉になっていました。

この面白そうな祭を外すのは絶対に嫌だ。

国際バス?国際列車?色々考えた結果、飛行機でスペインに飛ぶことにしました。

その途中にあるスイス、ドイツ、イタリア、フランス全部飛ばすことになりました。

今思うとなぜあんなにトマト投げ祭りに固執したんだとも思いましたが、

やはりチェコ(記事参照)での友人との再会が忘れられず、

海外で友人と再会するあの快感をもう一度味わいたいという、

バカみたいな感情に支配されていたからかもしれません。

そんな経緯がありスペインのマドリードへ着きました。

マドリードの空港で荷物がロストして、荷物だけアムステルダムに行く、

なんてトラブルもありましたが、何とかスペインへ辿り着くことができました。

そしてトマト投げ祭り前日。私はブニョールへ向かうためバスに乗りました。

その途中バレンシアで乗り換えの際、日本人の女の子2人組に遭いました。

どうやら私と同じくトマト投げ祭りに参加するとのことでした。

結果、一緒に行こう、という話になって行動を共にすることになりました。

バスの中では、現地に着いたらイスタンブールで約束した友人と合流して、

5人で楽しむぞー、なんて思いながらワクワクしていました。

そしてブニョールに到着。そういえばイスタンブールでの友人達とはどこで合流、

という約束はしていませんでした。小さい街だし祭り会場で絶対会えるよ、

なんて話を信じていました・・・結果友人達とは会うことができませんでした。

ギリギリまで探していましたが祭が始まってしまいました。それがいけませんでした。

気づけばトマト投げ祭りの最激戦区とよばれるエリアに迷い込んでいました。

そこから先はまるで地獄のようでした。俺なんかお前らにした?

そう思うくらい四方八方からトマトをぶつけられ、トマトのプールに顔をうずめられ、

頭にきて、こっちは小学校から中学校までずっと野球をやっていたんだぞゴラア、

と至近距離からトマトを思い切り投げてぶつけ返してやったり、

またそのお返しにトマトをぶつけられたり、そんなことをずっとしていました。

定期的にでかいダンプカーがトマトを運びに来るのですがその時だけは、

休戦状態になってお互い壁の端に避難するのですがその時はその時で、

ダンプカーの上に載ってる奴らからもトマトを上からぶつけられ・・・

そんな永遠とも思えるトマト投げ祭り。実際は2時間くらいだったでしょうか?

気づけばズタボロの、戦場帰りみたいな状態になっていました。

荷物を預けてある近くの商店に戻ってみるとバレンシアで出会った女の子2人が、

私を待っていてくれました。そして私の姿を見て絶句していました。

まさかあの最前線にいたの?バカじゃないの?

あそこは頭がおかしい人しかいかないよ。

そういうことはもっと早くに教えておいてくれ。

ひどい目にあった。

>見ればわかるよ。

やり返したけど、それが悪かったみたい。

そして帰ることにしました。がそこで気が付きました。

私が着替えを持ってないということに。

ここまでとは思ってなかった、てっきり約束した友人と合流できると思ってた、

などの言い訳はあるのですが完全にトマト投げ祭りを舐めていました。

どうしよう。こんな状態でマドリード帰れない。

そう途方に暮れていると女の子の一人が、じゃあ家くる?そう言ってくれました。

じつは乗り換え時に出会った日本人の女の子は2人ともスペイン在住でした。

しかもそのうちの一人はバレンシア在住でした。

お父さんのでよかったら服貸してあげれると思う。

>マジでいいの?有難う。

申し訳ないとは思いましたがこんなズタボロな状態ではとてもじゃないけれど、

マドリードまで戻れないのでその子の言葉に甘えることにしました。

ちなみにもう一人の女の子も体がトマトまみれで気持ち悪いので、

私同様彼女の家にお邪魔してシャワーを浴びることになりました。

彼女の家に着くと連絡を受けたのか、彼女の父親が待っていました。

トマトまみれになっている私達を見て呆れていましたが快く迎えてくれました。

女の子のうち1人はしかし今日中にバルセロナの家に戻るということで、

シャワーだけ浴びてバルセロナに戻っていきました。

君はどうするんだ?

>今からマドリードに帰ろうと思います。服はまた返しに来ます。

いやそれはもう着ない服だから君にあげる。

それよりも今からマドリードへ戻ると深夜になるぞ。

よかったら今日は泊まっていきなさい。

そうお父さんは言いました。

確かに。マドリードに深夜に着いてそこから宿を探すのは、強盗に襲ってくれ、

そう言っているようなもの。そこでまたまたお言葉に甘えることにしました。

じゃあ一緒にご飯を食べに行こう、と言うことになり3人で海辺のレストランへ。

しかしお父さんはちょっと野暮用があるので少しの間待っていてくれ、

そういい残してどこかへ行ってしまいました。

その間私達はバレンシアのコスタブランカ(白い海岸)と呼ばれる、

白く美しい夕暮れの海岸をまったりと会話をしながら歩きました。

彼女はスペイン在住だからか、少し小麦色に灼けた肌の綺麗な女の子でした。

お父さんが変な気を利かせたのかな、それにしては粋だな。

俺たち今日の朝会ったばかりでまだ何の関係もないのに。

でも確かにこんな綺麗な砂浜を二人で歩いていたら、

周りからは恋人同士に見られるだろうな。

など妄想と思い上がりを爆発させながら彼女との時間を過ごしていました。

そして小一時間経った頃、お父さんが迎えに来たのでほど近いレストランへ。

そこでバレンシアの海の幸をたらふくご馳走になりました。

その代わりと言ってはなんですが、スペインまでの珍道中や、

私が過去に旅したアジアの国の話をワインを飲みながら話しました。

バレンシアでの思いがけない出会いは楽しいものでしたが、

私は時間に限りのある学生バックパッカーでした。

また長居してこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないので、

次の日の朝にはマドリードへ戻ることにしました。

彼女の家に戻り部屋でくつろいでいるとノックが聞こえました。

ドアの向こうに立っていたのは彼女でした。

明日朝早く出るんでしょ?

それじゃあこれでバイバイだね。

私が己惚れてなければ少し寂しそうな表情だったと思います。

しかし着替えとさらに一宿一飯の恩のある状況で、

それ以上めったなこともできませんし言えませんでした。

そうだね。本当にありがとうね。

私はそう言うことしかできませんでした。

翌日私は朝一番のマドリード行きのバスに乗る為、

まだ誰も起きてこない時間に家を出ました。

後日トマト投げ祭りで合流を約束した友人に、何故来なかったのだ?

そうメールをしてみると言い出しっぺの女性からの返答は驚くものでした。

私は確かに行ったと。でもそこで あいのり のメンバーに遭遇したと。

”あいのり”とは当時今から20年近く前に流行った旅行恋愛番組でした。

嘘か本当かそのあいのりメンバーと仲良くなりご飯食べに行ったと。

トマト投げ祭り当日はあいのりメンバーの近く(祭りの端の方)

にいたから合流できなかったとのことでした。

この話が事実かどうか。同じ年にあいのりがスペインに来ていたことは確かですが、

あいのりメンバーと一緒にご飯を食べに行ったというのは嘘だと私は思っています。

しかし彼女は本当だと言い張るので話は今でも平行線を辿ったままです。

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