タイのチェンマイで初めてできた外国人の彼女29

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私のチェンマイ生活は彼女と別れてもしばらく続いていました。しかし、そんなチェンマイでの生活もいつまでも続くわけではありませんでした。終わりはいつでも突然です・・・まあ、簡単に言うとお金がなくなってきてしまいました。日本を出るときに用意していた120万が底を尽きようとしていました。

・・・というかよく120万でおよそ2年(バンコク半年+チェンマイ1年半)も遊んで暮らしていたな・・・今では絶対無理だと思います。遊び代にお金を使わなくてもいい時代。若かりし頃の特権。40歳を越えたおじさんになった今、そのことが痛いほどよく分かります。

また、お金の問題以外にも、全く働かずに暮らしていることも精神的なストレスとなっていました。いや、働かないことは正直どうでもいいのですが、お金が増えずに減り続けていくという状況が精神的に私を苦しめていました。そして、ある日突然・・・・・日本に帰ろう・・・そう思いました。

ちょうど最後に通っていた学校の課程も終わりに近づいていました。ちょうど良い機会だと思いました。思い立ったが吉日。チェンマイにはおよそ1年半の間、暮らしていました。それだけ居れば友人も知り合いも増えます。その全員に挨拶周りをしに行くことにしました。

そろそろ日本帰りますわー。

〉日本帰るの?へー、で、いつチェンマイ戻ってくるの?

いや、当分日本で働きます。

〉えー、あれ?チェンマイで働くんじゃないの?てっきりチェンマイに骨をうずめるのかと思ってたよ。

しかし、私の帰国が本気だと言うことがわかると、それじゃあお別れパーティーだー!とちょっとしたお別れ会を開いてくれることになりました。開催地となったのは、ナイトバザール奥にあるよく皆で通っていたイサーン料理屋でした。そして当然その中にはタイ人の元彼女Pもいました。

開催されたお別れの宴は、それはそれは盛り上がりました。ここの店には多い時、週6くらいで訪れていました。そのためウェイトレスはもちろん、厨房、店のオーナーとも顔見知りでした。俺日本帰るよー今までありがとー、そう伝えるとウイスキーと大量の料理をサービスしてくれました。そして、本当はタイではパーティーの主催者がお金を全部払うんだよ、と言いながらも皆がおごってくれました。

そうして皆から温かく見送られながら私は1年半暮らしたチェンマイを後にすることになりました。