イギリスのヒースロー空港は人生のターニングポイントだったのか?

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イギリスの空港にて・・・

人生に if はないと言われています。人生に、~たら、~れば、はありません。それは確かにそうなんですが、やはり考えてしまうことがあります。もしあの時、違う選択をしていたら自分の人生はどうなっていたのだろうか?学生時代から海外を放浪していて、そんな印象に残っている出来事がよくありました。

それは大学2年の夏。私はヨーロッパ横断をしていました。トルコのイスタンブールから入り、イギリスのロンドンから日本に帰る、そんなチケットを持って旅行していました。しかし、このヨーロッパ旅行中の精神状態は普通じゃありませんでした。おそらく若い時分にかかる一種のはしかのようなものかもしれません。私も御多分に漏れず若さゆえの馬鹿さ加減が爆発していました。

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今から考えると当時の自分の精神構造は赤面ものなのですが、当時は真剣にそう思っていたのだから仕方がありません。そんなことが常に頭の片隅にある状態で旅を続けていました。そして、日本への飛行機が飛び立つロンドンへたどり着きました。およそ2か月半のヨーロッパ横断も終わりを告げようとしていました。

ロンドンでは友人の部屋に転がり込んでいました。彼とはスペインのマドリードで知り合い、私の目的地がロンドンと知ると、ロンドンに来たら家に来たらいい、そういってくれました。その言葉に思い切り甘えた結果、ロンドン滞在期間中ほとんどをその友人の家で過ごしました。

そこで垣間見えるロンドンでの生活。正直、ちょっといいなと思ってしまいました。もちろん当時の私の立場はただの観光客。良いところや面白いところなど、綺麗なところのみを見るだけの立場。そのため良く見えただけなのかもしれません。それでも当時病んでいた私には、大学を中退もしくは退学して海外に出る、それはそれは想像するだけでもとても甘美なものでした。

そんな時にロンドンで美容師として働き暮らす友人の姿が格好良く見えました。異国の地で独り立ちしていてすごいな、と。またその友人にロンドン在住の日本人を紹介されて一緒に遊んだり飲んだりしたのもよい刺激となっていました。このまま日本に帰らなければ、大学を辞める良いきっかけになるのではないか?何とかなるのではないか・・・

これは、五木寛之の ”青年は荒野を目指す”をちょうど読んでいたための弊害なのかもしれません。実際ギリギリのところまで思い悩んでいました。しかし元々慎重で怖がりな私は、どうせ思い切った行動を取ることもできないんだろうな、ただの空想に過ぎないんだろう、ということを自分でわかってもいました。

しかし、そんな葛藤があったからでしょうか?普段時間に正確なはずの私が、ロンドンから日本へ帰る飛行機に大幅に遅刻しそうになりました。国際線は通常、出発時間2時間前チェックインが常識なのですが、私が空港に着いたのは出発時間30分前でした。チェックインカウンターに他の客は誰一人としておらず、日本の空港のように空港職員が搭乗予定者を探しているわけではなく、カウンターはまさに閉まろうとしていました。

その時、ひょっとしたらこれは人生が変わるチャンスなんじゃないのか?このまま乗れなければ、不可抗力として日本に帰ることができない。学校にも行けない。履修登録ができなければ単位も取れない。留年するくらいなら休学ないし退学。それならば・・・とりあえず見送ってくれた友人の部屋に戻り、それから親元に電話をして、しばらく日本に帰らない旨を連絡して、ロンドンで暮らせないか探して・・・

と妄想は膨らんでいきました。乗れなかったら乗れなかったでいいや、そう思い、チェックインカウンターに近づくと・・・・・無事にチェックインできました。カウンターのスタッフに何やら英語でまくしたてられハリーアップと言われ、空港を駆け抜けました。結果、チェックインも無事に済み、税関もスムーズに進み、搭乗ゲートに間に合い、遅刻することなく普通に飛行機に乗れてしまいました。これは、良かったのか悪かったのか・・・

ロンドンから日本までの飛行機の中。まあ俺の人生そんなもんだよな、そう独り言ちました。しかし、もしもあの時本当に飛行機に乗り遅れてロンドンに残ることになったら?自分の人生はどう変わっていったのか?今でも考えることがあります。ひょっとしたら全く違う人生になっていたのではないか。ひょっとしたら金髪のお姉ちゃんが隣にいたりなんかして・・・

まあ、別に今の人生に不満があるわけではないのですが、たまに思い返すことがあります。いや、ただ単に年を取り、昔を懐かしんでいるだけなのかもしれませんが・・・