海外移住日記第25話 決意を新たに海外就職

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シンガポールに行く前の話。

書き忘れていましたが、シンガポールにビザを取りに行くちょっと前のこと。私は一度日本に帰っていました。期間はおよそ2週間。もともとタイには仕事が見つかるかどうかの調査で来ていたのですが、とんとん拍子に就職が決まったので全ての書類を揃えて提出した後に、会社に頼んで一度日本に帰らせてもらっていました。

車の売却。駐車場の解約。住民票を抜くこと。年金。本格的な引っ越し荷物の整理。友人知人親戚へのあいさつ回り。などなど、やらなくてはいけないことが山のようにありました。日本に帰る前に色々とタイでできることをやってから日本に戻ったので、かなり効率的に動けたと思います。さらにどうせこれからタイで働くのだからと冬物のコートなどはもういらないと思いヤフオクで断捨離まで済ませました。




そんな日本での時間の中でも一番ぐっと来たのが昔から世話になっている叔母へ、海外で就職することを報告した時。”もう次に会うことはないかもしれないね。私はもう死んでいるかもしれないから”そう言われたときは何と返せばよいのか返事に迷いました。そう言えば叔母と一緒にお酒を飲んだのもその時が初めてでした。

ちなみに住民票を抜き海外に出ると非居住者となり、国民健康保険、年金、の支払い義務がなくなります。しかし、年金に関しては今まで払った分がもったいないので、年金は今まで通り支払っておくことにしました。ちなみに私が住民票を抜いたタイミングですが、なんとマイナンバーが配布される直前。ギリギリマイナンバーがもらえず後々難儀することになります。

荷物に関しては私よりも母親の方が心配していました。正直私は足りないものがあったらタイですべて買えばいいと思っていたのですが、毎日のように母親が、下着だ薬だ調味料だと買ってきていました。さすがにこの年になって年老いた母親を心配させたことに対して情けなさというか申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

全ての用意が揃い、空いている時間は地元の散歩にあてました。昔から通っているうどん屋やラーメン屋に通い、スーパーやドラッグストアに通い、近くの公園でぼーっとしたりそんな時間を過ごして出発の日を待ちました。別に今生の別れでもあるまいし、とも思いますが何故か少し感傷的な気分でした。

今までも1~2年地元を離れることなんて何度もあったのですが、やはり腰を据えて働く、となるとやはり、2度と戻ってこない、くらいの覚悟をしていたのかもしれません。もちろん年に1、2度は日本に帰ってくるつもりなので、単なる気分的なことなのですが。そして、もう日本で働くことは2度とないのだ、という、嬉しいような、寂しいような、脱出できた解放感のような、ドロップアウトした敗北感のような、そんな不思議な気持ちになりました。