人生のターニングポイント~カナダでアンダーでマッサージ師

Pocket

今からずっと前。20年近く前の話。大学を卒業してタイに渡りタイマッサージに出会いました。私はその後マッサージにどっぷりはまり、本気でマッサージで生計を立てていこう、そう思っていました。

タイのチェンマイでタイマッサージを1年半ほど学び、私は日本に帰りました。そして日本でマッサージの仕事をして日本の指圧・揉みほぐしを実地で学んだ後に今度はカナダのバンクーバーにワーキングホリデーで渡りました。

当然カナダでもマッサージの仕事を探しました。しかし事前に調べることもせず簡単にマッサージの仕事が見つかるだろう、そう考えていた自分はバカでした。実際はカナダでマッサージの仕事をする場合、日本と同じく専門の学校に3年間通い、資格を取らなくてはいけませんでした。

しかし当時英語もそんなにできない私がカナダでマッサージの専門学校に通う、そんなこと考えられもしませんでした。正直人生を舐めていました。行けば何とかなるだろうと。どうしよう、そう思いましたが何か有効な手があるわけではありません。

シンプルな話でした。マッサージの仕事をするためには資格が必要。しかし、私にはその資格がない。ただそれだけのことでした。そうして悩んでいる時にバンクーバーに指圧の学校があることを知りました。そこは2年間指圧を学び卒業後は、指圧セラピスト(国家資格ではないが)として、それでもきちんとカナダやアメリカにある指圧サロンで働けるというものでした。

確か当時の学費がおよそ1万カナダドル(約120万円)ほどだったと思います。多少夢のある話ではありました。しかし躊躇する話でもありました。指圧セラピスト・・・。国家資格ではありません。そして厳密にいうと私がやっていたのは指圧ではない。タイマッサージを取り入れた全体的なもみほぐしのマッサージでした。

変なプライドもありました。”マッサージ後進国”のカナダで一からマッサージを、指圧を習うことへの。などとちょっとかっこいいことを言ってみましたがシンプルに言えば、ただ尻込みしていたに過ぎないのかもしれません。現状を大きく変えることに。またカナダで生きていくということがネックになっていた部分もあります。

カナダは確かに住みやすい、治安はいい。でも何か物足りませんでした。直観的に、ここは年寄りが住む国だ、そう思いました。当時まだ20代の自分は、ここに住んだら老ける、そうも思いました。老成してしまう。私はもう少し無茶していたい。

どうしようか考えてはいましたが結局答えは出せませんでした。どちらにしてもあと少ししたらワーホリビザが切れるしな、何て思い悩む日々が続きましたが、結果的に私はカナダでマッサージの仕事にありつきました。職場はタイ人経営の鍼灸サロンでした。

しかし既述のようにカナダでマッサージの仕事をするには国家資格が必要です。なので当時の私の役職は事務補佐でした。しかし実際の職務はサービスとしてのマッサージ業務でした。きっかけは面接でのこと。応募は事務員募集だったのですが、面接時にマッサージを店主に披露すると一発で気に入られ即採用となりました。そうして私はアンダーではありながらマッサージの仕事ができることになりました。

日本でもマッサージはグレー。カナダでもマッサージはアンダー。何をやっているんだ俺はと独り言ちながら。

しかし、ワーホリビザの期限が近づいてきた頃、突然その職場のオーナーからビザを出すと言われました。このままここで働けばよい、と。自画自賛するわけではないが私のマッサージは上手でした。体のマッサージも、ヘッドフェイスマッサージも。足裏マッサージもそこらのリフレクソロジストよりも遥かに上手かったと思います。実際マッサージ先進国の日本でも上手い方に属していたと思います。

ならばマッサージ後進国のカナダならばかなり上位にいたと思います。それゆえサービスと銘打っていましたが私のマッサージ目当ての客がかなりいました。それを見越して店主はビザを出すからここに残れと言ってくれたのでした。

一応考えはしました。指圧の学校に行きながら、その鍼灸院で働く。おそらく生計は立てれるだろう。でも、しかしなあと。このままアンダーで働くのかあ・・・。そしてこの退屈な町で。お酒もまともに飲めない買えないこの町で・・・。

考えれば考えるほどネガティブな言葉が出てきました。その結果、私はカナダを出ることにしました。なんだかんだ色々考えた結果一番大きく思ったことは、ナダじゃドキドキしないわ、でした。何をバカなこと言っているのだと言われそうですが、そう思ってしまったのだから仕方がありません。

しかし今になってふと思います。もしもあの時、あの時の情熱のままマッサージに没頭していたら。カナダで指圧の学校に行き、鍼灸院で働き続けていたら。私はカナダのバンクーバーでマッサージサロンの一つも経営していたかもしれない。

いや妄想はさらに膨らみ今頃私の隣にはカナダ人の金髪の嫁がいたのだろうかと。まあ嫁はともかく、今とは全く違う人生があったには違いないかと思います。