夢か現かブラジルのサルバドールでの麗しき日々

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今でもブラジルのサルバドールでの日々をふいに思い出すことがあります。自分でサルバドールでの日々を思い出しておいてなんですが、今でもあのサルバドールでの日々は実は夢だったのではないかと思う時があります。あれは私の空想の産物なのではないか、そう感じるくらい非現実で濃い時間を彼の地で過ごしました。

幸いにも今私が住んでいるここパタヤに、当時ブラジルのサルバドールで一緒に同じ長屋で暮らしたバックパッカー仲間がいます。そのため、あの日々が空想なんかではなく、実際に体験したものであるということが分かります。そんな彼と酒を飲むたび、ことあるごとにサルバドールの思い出話に花が咲きます。

お互いにその話もう何回もしたわ、と言いつつ言われつつ貴重な酒の肴になっています。そんなサルバドールでよく思い出すのは、毎日のようにそこかしこで行われるフィエスタと呼ばれるお祭りに行ったこと。いや、お祭りというきちんとしたものでなくても、そこここのレストランやバーなど、店内で盛り上がると突然皆が踊りだすなんてことがほとんどでした。

そんな中、あまり日本ではお目にかかれない場面を目撃したことがあります。それは見知らぬ男女が一緒に踊りだす光景。それはまるでワンピースの戦闘の後の、宴だー!の場面を彷彿とさせるシーンでした。その場に居合わせた客同士が突然踊りだす。それくらいのことは日本でもあるかもしれません。しかし、本当に驚いたのは、明らかに世代の違うお腹のでっぷりでたおじさんと若くて綺麗な女の子がよく踊っていることです。

ブラジル人曰く、ブラジルでは踊りを誘われたら基本断らない、とのこと。そういう暗黙の了解みたいなものがある。日本の盆踊りなどのお祭り会場ではおよそ見られない光景、まさに美女と野獣のダンスシーンが目の前で繰り広げられています・・・フィエスタで踊りに誘えば基本断られない?・・・これはチャンスだ!と夜毎フィエスタに赴くと、旅の恥は掻き捨て、と片言のポルトガル語でダンス教えてよ、と女の子にダンスを申し込んでいました。

そしてもう一つ思い出深いのはサルバドールの音楽シーン。サルバドールにはサルバドールだけで確立されている音楽文化的なものがあります。世界的に大ヒットしているような音楽を寄せ付けていない、独立した音楽文化のある、音楽のメッカという一面もありました。そんなサルバドールだからこそ、ある日いつものように近くの屋台街みたいなところで飲んでいると突然何の前触れもなくセッションが始まるなんてことが度々ありました。

サルバドールのある夜。この夜のきっかけはまるで浮浪者のごとき老人でした。とてとてと浮浪者風の老人が歩いてきたかと思うと、突如ずた袋の中から何かを取り出しました。ジャンベでした。そしてそれを取り出した途端、突然たたき始めました。初めは、おー何かやっとるわー!くらいに見ていたのですが、そのジャンベの音に呼応するように近くのレストランの黒服が店からギターを持って出てきました。

そしてそのジャンベに合わせてセッションをし始めました。それからは近くの屋台の店主のおっさんやらウェイトレス、通行人らが続々とそのセッションに加入し始め、最終的にはそこに客として来ていた太ったおばちゃんが歌いだしました。もう皆大盛り上がりでした。気づいたら周りの人は皆踊り狂っていました。

私も彼女と彼女の友達に促され、その踊りの輪に無理やり連れていかれ踊る羽目になりました。そんなまるで映画のワンシーンのようなことがごく自然に起きるのがサルバドールの毎日でした。あんな経験はもう二度とすることはないのだろうな、そう思うと何かせつなくなります。しかし、だからこそ思います。やはりあれは私の夢の中の産物なのではないだろうか、と。

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