海外移住日記 第31話

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デジャブか?再び”死”を意識するように

海外移住日記第31話 オーバースペック編

私は仕事でのストレスを晴らすように、そして仕事内容はともかくタイ語力を早急に向上させなければいけないと思い連日のように飲み歩いていました。もらっている給料は70,000Bとタイでもらうにはかなりの額をもらっていたのですが、毎日の様に酩酊状態まで飲んでいたのでほとんどすべて飲み代で消えていました。

結果女の子の連絡先や知り合いは増える一方でしたが、タイ語力の向上はあまり見られませんでした。それもそのはずで毎日のように違うお店に行って深い話をするわけでもなく、いろいろな女の子と自己紹介のような浅い話を毎日の様に繰り返しているだけでした。

名前は?年は?出身は?など紋切り型の同じ話を延々と繰り返すばかりでは当然のようにタイ語力は向上しませんでした。そして当然連日飲み歩いていたため体調も悪くなっていきました。ダブルパンチでした。限界でした。完全に自分にはオーバースペックだと思いました。

せめて業務内容を理解しているか、それともタイ語力がある程度あるか、それともビジネス英語ができるか、このうちの1つでもできていればまた話は違ったと思います。しかし同時に3つを並行して向上させるのは無理でした。我ながらよく頑張ったのではないかと思います。紹介してくれた転職会社、採用してくれた会社、仕事を教えてくれた同僚。皆さんには申し訳なさで一杯でしたが、会社を辞めることにしました。

辞めることを決意したのは、仕事ができず・タイ語が分からず恥ずかしいとか、体調を崩していったこととか、そういことが直接的な原因ではありませんでした。一番の理由は何と言っても 死 を意識し始めてしまったからでした。日本でも同様のことがありました。タイにくるきっかけになったブラック不動産会社。過重労働とストレスの末、このまま楽に死ねないかな、とか、いっそのこと寝たまま目覚めなければいいのに、とか、世界が崩壊しないかな、とか、突然トラックに轢かれないかな、とか。

そういうことを考えたことがありました。ただ前職と唯一違うのが今回の会社がブラックではなくホワイトだということでした。しかしオーバースペック過ぎました。結果、同じように出勤の車の中で、このまま交通事故にでも巻き込まれれば会社に行かなくて済むのに、とか、仕事が終わって部屋に帰ってベランダ(当時14階に住んでいた)から下をみて吸い込まれそうな感覚がしたりとか、そういう症状が出始めてしまっていました。

初めは我慢していました。これは巷でよく言う、辞め癖、なのではないかと。でもやはり限界でした。会社に言いたいことが全くないわけではありませんが、それでも今回は完全に自分のわがままだということも分かった上で辞めさせてもらうことにしました。

上司からは慰留されました。折角仕事を覚えたのに、とか、良くやってくれている、とか。お世辞とは言え嬉しい言葉だった。ただ、ありがたい話ではあったがやはり決意は変わりませんでした。こうして私の商社での仕事は3か月で終わりを告げることになりました。

そうして再び私の就職活動は振出しに戻ることになります。