40代のおじさんがタイで童心に還って「また明日遊ぼうねー!」と叫ぶ

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かつて日本のブラック企業で働いていた時のこと。一日が終わって家路に着く時に、今日も疲れたな・・・あー、明日なんて来なければいいのにな・・・そんな風に毎日思っていることに気が付きました。今から思えばかなり病んでいたのだと思います。明日が来るのが楽しみ!なんて思うことはほとんどありませんでした。

当たり前の話かもしれませんが、昔はそんなことはありませんでした。子供の頃は、学校や近所の友達と日が暮れるまで遊んで、じゃあまた明日遊ぼうねー!、そう言って家に帰っていた気がします。そして、今日も楽しかった、明日も楽しみだなー、そう思って暮らしていた筈なのに・・・。

大人になるに従ってそういったことは思わなくなったような気がします。そしてそれは当然のことなのでしょうか?ブラック企業で働いていたので尚更なのかもしれません。しかし、ホワイト企業で働いていたって根本的に大人になれば、そんな子供みたいなことは言っていけないのかもしれません。

でも、だからこそふとした時に、昔はよかったなー・・・と在りし日を懐かしむことがあります。そして、もう一度子供の頃に戻りたい、子供の頃に戻ってまた毎日面白おかしくいきたい、そんなことは無理だと分かっていながらも願ったりする人も多いのではないでしょうか。

しかし、そんな誰しもが思う根源的な欲望を一時的ではありますが、私は大人になってから叶えたことがあります。それはタイのバンコク、カオサンに沈没していたころの話。今から20年近く前。それは今の様にカオサンが完全に観光地化する前の話です。当時、カオサンには世界中から安宿を求めてバックパッカーが集まってきていました。

当然のように日本人パッカーもたくさんいました。そして私もその一人でした。宿が密集しているため、必然的に仲良くなりやすい環境が整っていました。同じ宿に泊まっていたり、近所の食堂で話しかけたり・かけられたり、宿の下のフリースペースなど、仲良くなる場所はどこにでもありました。

海外で知り合って仲良くなる。当時、若かりし頃の私にとっては、運命の出会いかと思うほどとても甘美な言葉でした。そんな異国の地で仲良くなった同世代の日本人とそれこそ毎日のように遊びまわっていました。文字通り朝から晩まで。そして明け方になり遊び疲れて思い思い、自分たちの宿に帰るまさにその時。

じゃあ、また明日ねー。また遊ぼうねー。

自然とそう言っていました。すると相手からも、うん。また明日ーっ!との返事が普通にありました。もうお互い20歳も過ぎの良い大人。日本で暮らすまとも?な同年齢の友人は仕事に行くために起き出す時間。ド平日の明け方。

私たちはまるで小学生の頃の友達との去り際の場面のような台詞を言っていました。その時の私にとっては、そのバンコクでの日常が当たり前だったので何も感じません(多少の背徳感はありました)でした。しかし、その時確かに私たちは幼少期に戻っていました。

あの時、あの時間は、今になって思えば、人間誰しもが思い願う、子供の頃に還るというタイムスリップ的な毎日を送っていたのだなーと思います・・・そんなことを先日ナクルア(パタヤの北の方)に住む友人に、遊びに誘われたのがきっかけではと思い出しました。

おーい、〇〇君!明日パタヤで遊ぼうぜ!

まるでサザエさんの中島の如く、おーい磯野!野球しようぜ!的な言い方でした。40代になった今でも、あの幼少期の続きが、バンコクの続きが、まだパタヤでも続いているのかもしれません。そう思うと少し活力が湧いてきました。



だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人 [ 水谷 竹秀 ]