世界に誇れる日本人~船坂弘

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リアル亜人”船坂弘”

昔の日本帝国軍は強かった、そういう話を耳にすることがあると思います。特に日本軍の兵士の個々の強さは世界最強とも言われていました。結果的には、物量と情報戦に負けて敗戦国とはなってしまいましたが、多くの将兵が国のために命をかけて戦ってくれました。

そんな日本軍において伝説的な強さを誇り、恐れられていた日本兵がいました。皇国の英霊。陳腐な言葉ですが、そんな言葉がぴったり当てはまる軍人です。それがこの、船坂弘、です。彼は一人で200名の米兵を蹴散らすほどの戦闘力がありながら、性格は温和で模範兵と言われていました。しかしそんな船坂の真骨頂は何といってもその驚異の生命力にありました。

それはアメリカとの戦闘で大腿部を裂傷し深手を負った時のこと。軍医からは自決用の手りゅう弾を渡されました。それはこの後戦うことはおろか、生きるのも不可能だと思われたからでした。しかし船坂はその傷口を自ら日章旗で血止めして再び戦場へと向かい、生還したのでした。船坂はその後も何度も瀕死の傷を負いながらその翌日には戦場にもどり、敵味方から、不死身、と呼ばれる存在になっていました。

そんな船坂に天も運も味方?します。それはまたしても戦場で深手を負い、その傷口からウジがわいてきた時の事。船坂は、ウジで死ぬくらいなら自決する、と手りゅう弾のピンを抜きます。しかし何故か手りゅう弾は不発。船坂は、何故死ねない!と絶望するほど死神に嫌われている人でした。

そんな船坂ですが、敗戦濃厚になった局面でのこと。敵将を狙い単身敵陣に乗り込み肉弾自爆することを決意しました。船坂が手に取ったのは、手りゅう弾数発と銃1丁のみ。敵陣に単身乗り込みますが、敵陣には1万人の敵兵がいました。しかし船坂の狙いは司令官のみ。敵将が姿を現すまで姿を隠しました。そして司令官の姿を見つけた船坂は一人敵陣に突撃します。

突然の船坂の登場に驚くアメリカ軍ですが、独りの敵兵が船坂の頸部を狙撃しました。その傷から死亡は確実と思われました。船坂を見た米軍医は握りしめられた手りゅう弾を見て、これが日本の腹切り、サムライだけができる勇敢な死にかただ、と称賛したとも言われています。

しかし驚くべきはその3日後でした。船坂はまたしても生還したのでした。しかし目を覚ました船坂は敵に情けをかけられたと思い、恥ずかしめをうけるくらいなら殺せ!と叫んだといいます。そんな姿を見て敵であるアメリカ兵からも船坂は、勇敢なる兵士、と称えられたといいます。

終戦後、船坂は当時の日本人の平均寿命を大きく上回る85歳まで生き続けます。そして船坂は余生を同じく戦争で命を落とした同胞、仲間たちの慰霊碑を作り続けたといいます。船坂はそんなまさに日本の英霊と呼ぶにふさわしい世界に誇れる日本の軍人です。