共産主義などの具体的な手段を持たない綺麗ごとや理想論の危うさ

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旧ポル・ポト政権幹部、大量虐殺で無罪主張 カンボジア特別法廷

【6月23日 AFP】クメールルージュ(Khmer Rouge)とも呼ばれた旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代(1975~79年)のカンボジアで国家元首も務め、「ジェノサイド(大量虐殺)」などの罪に問われているキュー・サムファン(Khieu Samphan)元幹部会議長(85)が23日、カンボジア特別法廷(ECCC)に出廷し、起訴内容を否定した。また「殺人者」というレッテル貼りを拒否するとともに、法廷で怒りをあらわにする場面もあった。サムファン元幹部会議長と元最高幹部、ヌオン・チア(Nuon Chea)元人民代表会議議長(90)は、ベトナム人と少数派のイスラム教徒の殺害といった罪に問われている。過激な毛沢東主義者(Maoist)として1975年にカンボジアを掌握し、20世紀で最悪とされる残虐行為を繰り広げたクメールルージュにおいて、2人は存命中のメンバーとしては最高レベルの幹部だった。2人は既に、首都プノンペン(Phnom Penh)から地方の労働収容所への強制移住など、「人道に対する罪」で終身刑を言い渡されている。サムファン被告は、カンボジア国民の4分の1近くを殺害するという組織的な犯罪の一端を担っていたわけではないと主張。23日の公判では100人以上の目撃者が、背筋が凍るような当時の状況を詳細に証言したが、殺害や虐待に対する責任を否定し、「こうした問題は知らなかった」と述べた。また、ベトナムが「カンボジアでの大量虐殺のアイデア」をでっち上げたとの批判も展開した。

引用:(c)AFP

・・・無罪を主張ですか。この被告が実際にやったのかどうかの真偽は分かりません。ただポルポト率いる原理共産主義者達の起こした行為は凄まじいものがあります。

映画 ”キリングフィールド” でも描かれていますが、知識人を全員殺す、特に理由なく殺される、結果当時の人口の4分の1を殺害する、しかもまだ善悪の区別のつかない子供を洗脳し、大人たちを殺させていた。末期には銃の弾がもったいないという理由で撲殺していた、など筆舌に尽くしがたいものがあります。

プノンペンにかつて収容所だったところがあります。その収容所に収容された数万の人のうち生きて出てこれた人は数人だとも言われています。しかもそんなまるでタチの悪いホラー映画のような話がつい数十年前に実際に起きていたということに衝撃を受けます。

常軌を逸していると思うのが、これを自国民に行ったということです。戦争中、正気を失っている状況下で敵国民や捕虜に対する残虐行為であれば理解はでき・・・ないけど、そんなものは世界中どこの国にも黒い歴史はあります。そしてそんなものは日本やドイツだけじゃありません。

アメリカだって、原住民のインディアンに何をしたか、フィリピンに何をしたか。スペインは他民族を滅ぼし世界中に奴隷を連れ去りました。というよりイギリスフランスを中心にしたヨーロッパ諸国なんて今世界中で起きている紛争の源でしょうに。

もちろん中国朝鮮だって同様です。戦争が終わって引き上げる日本人に対する虐殺事件なんてちょっと調べればごろごろ出てきます。ロシアは日本人をシベリアに抑留し、数十万人単位で殺しました。

だから日本もしていいとは言いません。何を言いたいかというと戦争時とはそういうものだということです。でもこのクメールルージュは意味が違う。確かに当時のカンボジアは内戦真っただ中ではありましたが、なぜその狂気の刃を自国民に向けたのか。

これは完全な主観ですが、クメールルージュのポルポトしかし、中国共産党の毛沢東しかり、ソ連のスターリンしかし、共産主義、社会主義はなぜか自国民を虐殺します。しかも大量に。だから個人的に信用ができません。彼らは素晴らしい美しい綺麗なことを言います。しかしその理想と現実の間に祖語が生じると、なぜかちゃぶ台をひっくり返します。そう全て殺すことで繕おうとします。そしてそのことは歴史が証明しています。

私が共産党や社民党などのあの綺麗ごとだけを言い、それを実現化する具体的なアイデアを出そうとしない輩を信用できないのは、そのような怖さがあるからです。理想論・綺麗ごとを言う人達に限り、それを否定されたり、実現できないとわかると、ぷっつんと切れます。

タチが悪いのは彼らは自分は悪くない。間違っていないと思い込みます。内省しない。そしてその怒りの対象を自分以外に求め攻撃します。それが本来守るべき自国民への虐殺へとつながっていくのだと思います。

今の日本の政治も共産党が議席を伸ばしつつあります。私は日本人の良心と理性を信じていますが、耳障りのよい綺麗ごとを並べる政治家や学者ほど信用できません。この被告が何をもって自分が無罪と主張しているのか分かりません。しかし自分たちがやったことが正しい、間違ったことはしていないと思って無罪を主張しているのならば、やはり理想論は毒だなと思います。