日本人は英語を勉強する前に国語と日本史を勉強するべき

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先日こんな記事を発見しました。

日本は英語以前に「作文教育」をやるべきだ(東洋経済)

ごもっともだと思います。しかし私はそれ以前に国語をまず勉強すべきだと思います。母国語である日本語がきちんと話せなければ英語なんて話せるわけがありません。日本語が中途半端だと当然英語も中途半端になります。結果、中途半端に2つの言葉が喋れる人間になるだけです。そんな奴誰からも尊敬されません。

そして日本史や文化もそうです。自国の歴史や文化を知らない人間が、海外の文化を学ぶのはどうなのか?と昔から疑問に思っていました。それは根っこの部分で愛国心につながるのかもしれません。日本では愛国心というとなぜか怪訝な表情をされることが多いので、愛国心を郷土愛と言い換えてもいいかもしれません。

日本ではGHQの洗脳教育か、反日メディアの洗脳か、日本・日本人に対する自尊心が極端に低い傾向にあります。そして盲目的に日本はダメな国、悪い国と自虐に走ります。海外でその他の国の人と話してそんなことを言うのは日本人だけです。

そんなことをたとえ冗談でもいうと驚かれます。ものすごい不幸な過去があるのか?と。そんな過去がなくただ単に母国が嫌いだと言おうものなら信用されなくなります。自分が生まれ育った国を嫌い?こいつ、危ない思想を持ったテロリストなんじゃないのか?と疑われても仕方ありません。

海外の考え方では、自分のことを好きになれない人間が他人を好きになれるわけがない、自分が生まれ育った国を好きになれない人間が他国を好きになれるわけがない、そう判断します。結果、どこにも受け入れてもらえない中途半端な人間が出来上がることになります。

これは歴史や文化も同じです。日本人は日本や日本人を過小評価していますが、世界的にみて日本という国の歴史や文化は世界の主人公の一つととらえられています。世界でそのように捉えられている国なんて数えるほどしかありません。それほど世界中の国が熱中しているのに当の日本人は卑下している。こんな滑稽なことはありません。

私は一度恥ずかしい思いをしたことがあります。それは今から20年近く前ネパールのあるエベレストが綺麗に望める町のロッジにいた時のこと。年老いたフランス人カップル、数人の欧米人、現地のネパール人、そして私を含む日本人4人の10人ほどでお酒を飲んでいたときのことです。

話は自国の文化の話になり、それぞれの国の人が母国の素晴らしい小説や映画の話になりました。そしてその中で好きな作家の好きな言葉は何か?という話になりました。それぞれの国の人が好きな一節を上げる中、私を含む4人は何も言うことができませんでした。

そんな私たちを見てフランス人のおじいさんが絶句していました。なぜだ?。君たちはなぜ日本の素晴らしい作家や詩人を知らないんだ。日本の文化や芸術は素晴らしい。君たちはそれらを学んでこなかったのか?映画は?彼らを知らないのか?・・・と。

正直呆れられていたと思います。いくら海外の著名な画家や作家やその作品を知っていても母国の作品を知らない私たちを見て、むしろ可哀想と思われていたかも知れません。そんなことがあり当時大学生だった私は帰国をしたのち、大学の図書館にこもり日本文学を片っ端から読んだものでした。

もし今あのネパールでの夜と同じシチュエーションになった場合、私は堂々と好きな作家、芸術家、その一節を諳んじられると思います。自分が生まれ育った国のことを何も知らない、あんな恥ずかしい思いは二度としたくない、そう心の底から思ったあの日の夜があって今は良かったと思います。



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