海外移住者としての生き方が始まり

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永遠の旅行者としての生きてみて

今思えば、まさか自分がP・Tとしての人生を生きることになるなんて、予想だにしていませんでした。しかも38歳という年齢で。確かに学生時代バックパッカーとして世界中を放浪していた時は、このまま海外でこんな風に自由に暮らせたらいいのに、と思ったことはありました。でもそんなものは、若かりし頃の誰もが抱く幻想みたいなものだと思っていました。バックパッカーが一度はかかる、はしか、のようなものでしかないと思っていました。

当時私も確かになりたいと思っていました。そしてできるとも思っていました。海外に行ってしまえば、向こうで何とかなるのではないかと思い、親に内緒で学校を休学したいと大学の先生に話をしに行ったこともありました。

でも今ここに至った道を振り返ってみると、なりたくてなりたくてなった、というよりは、流された結果たどり着いた様な感じだと思います。偶然なのか必然なのか、どちらにしてもそういう方向に迷い込み、いつの間にか抜けられなくなった結果このような人生になりました。

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P・Tと言う生き方は、通常は 永遠の旅行者 という意味で使われていて、特定の国に居住せず、海外を転々と移動して生きる人を指します。元々は節税目的という意味で捉えられることが多いのですが、私の場合は、まったく違う理由から結果的に日本と言う拠点を捨てることになりました。

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もちろんそのきっかけはありました。学生時代にバックパッカーをしていた頃、はじめは可愛く東アジア東南アジア周遊。慣れてくるとヨーロッパ横断。海外一人旅に嵌ってくると中東縦断。そしてその結果、南米到達と。ここまではまだいい。かわいい学生時代の思い出だと思います。まだ普通?の価値観をもった人生に戻れていたはずでした。

しかし大学を卒業後に留学という建前のもとタイに2年滞在。これがまずいけませんでした。おそらくこの時点で完全に価値観がぶっ壊れたのだと思います。その数年後カナダのバンクーバーにワーホリに行ったのもダメ押しになりました。

以上のような過去が前提にあり、その結果、36歳の時にブラック企業で働き続けることに嫌気が差し、日本を脱出し、第2の故郷ともいえる、タイを目指すことになりました。過去の海外での経験や繋がりが、ブラック企業退職→日本脱出→海外移住という、通常ではありえない選択肢を可能にしてしまいました。そしてざっくり今に至ります。

心の中のどこかに海外に対する思いが、ずっと消えない火種のように残っていたのだと思います。楽しかった頃の記憶のままに。

~今後は~

この後のことは正直まだはっきりと決めてはいません。一応色々と考えてはいるけれども。まずそれ以前にこのままのスタイルで生活できていけるかどうかも分かりません。正直に言うと若い頃とは違い、アラフォーになった今どれくらいのバイタリティが、行動力が残されているのか、その不安も残ります。

今はタイに観光ビザで2か月+延長1か月の3か月で住んでいます。そして期限が切れる頃に隣国や台湾、シンガポールなどを訪れてリセットしています。一度日本にも帰りました。こんな感じで1年が過ぎ現在2年目に突入。でもこのままで良いのかどうかもわかりません。毎日が不安であり勉強です。今後どうするかも含め、一つ一つ良い経験になるのだから学んでいこうと思います。

それにしてもブラック企業に退職届をたたきつけた時、翌年からこのような生活が待っているなんて私自身にとっても意外な展開でした。人生は一寸先は全く分からない。ひょっとしたら今は、そんな夢みたいなこと、と一笑に付していることも来年になったら当たり前の様に実践しているのかもしれません。

そうだとすれば今のうちにもっと分不相応な夢を見ておこうかなとも思います。おそらく、ブラック企業で人生に絶望していた状態から、海外移住する、これ以上のクラスチェンジなんてないと思います。


永遠の旅行者(上) (幻冬舎文庫) [ 橘玲 ]

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