バンクーバーでの生活がちょうど折り返しにかかる直前の時期。私は英語学校を卒業しました。学校に通った時間は3か月でした。同じクラスで一番初めに卒業したのがおそらく私だと思います。もともと英語学校などに通わず即マッサージで働こうと思っていた私なのですが、よく3か月も学校に通ったと思います。
まあそれだけ久しぶりの学校生活が楽しかったということなのだと思います。中学高校時代は学校なんて楽しくなかったのに、大人になって、無くしてから改めて気づいた、学校の楽しさでした。しかし既述のように当時すでにマッサージとタイ料理屋での仕事が忙しくなりはじめており、学校との2重生活に限界が来ていました。
ありきたりの感想ですが、授業中眠くて眠くて仕方がありませんでした。寝坊して学校さぼる、なんて漫画やドラマのワンシーンみたいなこともしていました。俺はカナダに来て安くない授業料を払ってまでなにをしているんだ。もうすぐ30歳だぞと。
そんなこともありただ楽しいだけの学校を卒業して仕事に専念することにしました。もう少し学生でいたい、クラスメイトとわちゃわちゃしていたい、そう思う気持ちが多少後ろ髪をひきましたが、まあ当時スキンヘッドだから髪ないんですけど、卒業を決めました。別に卒業しても彼らとの付き合いがなくなるわけじゃない、そんな自信というか、確信みたいなものもありました。
さて、ここで問題になるのが卒業式のこと。カナダの語学学校全般なのか、私の通っていた学校だけなのかはわかりませんが、卒業式で全員スピーチをさせられます。それを聞いた時、なにその地獄の時間と思いました。もうそれ聞いた時点で卒業するのやめようかなと思うくらいでした。
しかしそんな子供みたいなことを言っていても仕方がありません。なるべく目立たないようにひっそりとさくっと終わらそう、そう思っていました。が、惜しむらくは私の風貌とこれまでの学校での行いと交友関係。既述のように当時の私は良い意味でも悪い意味でも学校で目立っていました。ヒゲ面のスキンヘッドのゴリマッチョ。そしてそれを取り巻くのは悪友という名のクラスメイト。
学校で行われたパーティーにスピリタス(アルコール度数96度)を持ち込んで大騒ぎして学長に怒られたり、授業の一環で訪れた先で、途中から先生も巻き込んで酒盛りをして、全員朝からベロベロになった状態で学校に戻り学長に怒られたり・・・なぜかそれら全ての責任が私ともう一人の悪友Tのせいになっており首謀者とみなされていました。
そして卒業式の日。クラスの悪友Tとメキシコ人が何か大きな荷物を持ってきたのを見た時点で悪い予感がしていました。そう奴らが持ってきていたのはジャンベとギターでした。花を添える、バックミュージック、という名目で弾き始めていました。そして私の番になると狂ったように叩き弾き始めました。そして一言、パーティータイム!!!と。
なんかもうめちゃめちゃでした。なぜか大盛り上がりになる学友達をよそに私は、こんな辱めを受けるような、そんな悪い事したかなと、自問自答して自分の3カ月を振り返っていました・・・ま、まあ思い当たる節がないでもない。そんなわけで、立つ鳥跡を濁さず、とは到底いかず学校を卒業することになりました。