カナダのバンクーバーでのワーホリ体験記34 バンクーバー最後の晩餐

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カナダ最後の1か月は友人と一緒に酒を酌み交わす機会を多くしていました。ちょうど帰国ラッシュだったということもあり、友人を送り出す機会も増えていました。旅立ち・・・皆が皆いい大人なので、その気になればいつでも会えるのですが、やはり海外での別れは感傷的になります。そして特にマッサージの仕事をやめた後の1週間は、連日のように友人と会い、時間を過ごし、酒を飲みました。

同時に自分の帰国の準備をする必要もありました。カナダでお世話になった人へのあいさつ、持ち物の処分、部屋の掃除などなど。たった1年ですがなんだかんだ荷物も増えていました。そして一番の荷物だったのは、バンクーバーのアウトドアショップで1時間悩んで挙句買ったエアベッド。そう、出張マッサージ用に、と買ってしまった逸品でした。

しかし既述のように私は既にマッサージを生業にすることを諦めていました。こんなものもう必要ない。何かに使えるかもしれないから一応日本に持って行くか?いやいやそれは情けない。もうマッサージは諦めたんだから、とバンクーバーに置いておくことにしました。

でもほとんど使っていない新古品。捨てるのはもったいない、ということで、バンクーバーで出会った親友悪友マリファナTに託すことにしました。その代り空港まで荷物持ちよろしく、と交換条件を出して。しかしTからは、そんなものもらわなくても見送ったわ、そう言われてしまいました。まあ友人Tがエアベッドを何に使うのかわかりませんが、一応思い入れのあるものを託すにはベストな人選かなと思いました。

そして帰国前1週間は結構なハードスケジュールでした。嬉しい悲鳴でしたが、酒が抜ける暇がありませんでした。バンクーバーで出会った日本人、台湾人、メキシコ人、韓国人、地元のカナダ人。それぞれの友人たちと酒を飲み、したたかに酔いました。

帰国3日前。結局10か月ほどお世話になったステイ先のオーナー夫妻とシェアメイト、その彼女の5人で酒を飲みました。既述のようにシェアメイトの男の子は出会った当時、ABCから始めるレベルだったのですが、カナダ人の彼女の存在で、この送別会時点で私と同等もしくはそれ以上の英語力になっていました。飲み会は大いに盛り上がり、オーナー夫妻特製の自作したビールとワインをふるまってもらえました。

そして帰国前夜。バンクーバーで出会った悪友であり一番の親友Tとサシ飲みすることにしました。最後に会って飲むのはこいつだろう、と自然にそうなりました。ラストの夜は二人で飲んで、そしてそのまま私の部屋に泊まり、翌日一緒に空港まで行くことになりました。そしてその晩。

そうか帰るかー。はじめに会った時はそのままアメリカ行くって言ってなかった?

>あーそんなこと言ってたかも。でもマッサージ違法だし。

何とかなるでしょ。

>なんねーよ・・・んでTはどうすんの?これから?

俺はー、もうちょっとカナダで働いてみるわ。なんか店のオーナーに気に入られてさー。

>そうかー、良かったじゃん。がんばれな。

なんか文字にするとすごいしみじみとしていますが、そこまで感傷的ではなくさっぱりとした気持だったような気がします。というよりも連日のアルコール攻勢で限界が近づきつつあり、ありがたい話なのですが、やっとこのアルコール地獄が終わる、という安堵感さえありました。

そのあとはお決まりの学校での初めての出会いから、課外授業で皆泥酔したこと、卒業式でのどんちゃん騒ぎ、私が酔っぱらって前のめりに倒れたこと、などなど思い出話に花が咲き時間が過ぎていきました。