19歳の夏、私は、中国の上海、の地を歩いていました。初一人旅、そして初海外は中国の上海でした。きっかけはバイト先の先輩にもらった一冊の、黄色い表紙の旅行ガイドブック。大学に入って一発目のバイト先の先輩がバックパッカーでした。彼はインドから帰ってきたばかりの人でした。
初めて異国の土地を歩いている時のあの感覚。現実味のない夢の中を歩いているふわふわとした感覚。率直な第一印象は、ジャッキーチェンの映画に出てくるような街並みだなー、でした。あの感覚はアラフォーになった今でも色あせることなく思い出します。
そんな私の初めての海外旅行は船旅でした。今でもあるのでしょうか?当時、今から20年近く前は大阪から上海まで、2泊3日で行ける船がありました。蘇州号 と 新鑑真号の2船のはず。20年も前のことなのにパッと名前が出るとは思いませんでした。両船とも貨物船の上に客室が載っているような船でした。確か展望風呂があるからという理由で蘇州号を選んだ気がします。料金は当時往復で30,000円くらいだったと思います。
私が乗ったのは確か2等船室。2段ベッドが二つある4人部屋でした。でも自分以外だれも同部屋の人間はいませんでした。ていうか船の中に船客自体あまりいなかった。客があまりいないからなのか、船路を共にするという一体感からなのか、自然とほかの旅客と仲良くなりました。
仲良くなった人に他の部屋も見せてもらいました。3等船室(ざこ寝)も、一等船室も、VIP部屋も全部見ました。結果、旅客全員が皆仲良くなり、皆でVIP部屋に集まり騒いだり飲んだりしていました。途中台風?嵐?が直撃して船が大きく揺れて、乗客全員吐いたりしたなんてこともありましたが楽しい思い出でした。まだ10代で自分が船の中で一番年が若かったということもあり、皆からすごい可愛がってもらいました。
上海到着後、船の中で予約できた格安ホテルのドミトリーに同じくバックパッカーだった人と相部屋で泊まることになりました。皆個人個人観光は一人でするけど部屋は一緒みたいな。その当時の反日感情はどうだったのかは覚えてはいませんが、上海滞在時に嫌な思いをしたことは特にありません。
印象的だったのは、楽しみにしていたご飯がまずかったということ。まずいというかお客に出すレベルに達していないという感じでした。もちろん高いお金を出せば美味しいいご飯は食べれたのでしょうが、当時10代で大学生だった私の懐事情は寂しく、とてもじゃないですが高い店という選択肢はありませんでした。
特にローカルな食堂はダメでした。ビールやドリンクはすべて常温でした。というか冷蔵庫がありませんでした。何より衛生状態が最悪でした。殺菌清潔大国日本から来た私にはきつかったです。結果上海着いた初日にあたってしまいました。多分野菜が腐っていたんだと思います。美味しかったのは観光に行った 豫園 の有名な点心くらいでした。
中国語は全くできませんでしたが、正直筆談で何とかなりました。今とは違い若いからこその行動力もあったのかもしれません。英語はそもそも通じませんでした。というか私も英語は喋れませんでした。
上海に数日滞在した後、上海から杭州まで列車で移動しました。中国の諺に「上に天国あれば下に蘇州・杭州あり」そう書いてあるくらい蘇州・杭州は美しくて素晴らしい、と、中国のガイドブックに書いてありました。本当はもっと内陸の方だとか、モンゴルとの国境近くまで行って満点の星空を見たいなんて思ったりもしましたが、決定的にお金がありませんでした。
杭州は、西湖という美しい湖がありました。蘇州は古い中国のノスタルジック街並みが残る、日本でいえば京都のような所でした。杭州も蘇州も一番記憶に残っているのはずっと雨でした。しかし当時若かった私はとりあえず雨の中ひたすら杭州・蘇州の街を歩き回りました。
杭州・蘇州の街の思い出と言うのは驚くくらい欠落しています。というより正直まだ若かった19歳の自分にはあまり良さは分からなかったのかもしれません。アラフォーになった今行けばまた違うのかもしれませんが。
20年前のことなので当時の記憶はおぼろげなのですが、その中でも鮮明に覚えているのは杭州のホテルで、夜に突然女の人が訪ねてきたことでした。そういえば、上海のホテルでも同様のことがあったような気がします。若かりし頃、まだまだウブだった私は当然拒否しました。というか何なんだ一体、ほかの部屋と間違えてないか、と疑問の方が大きかったです。
意味がよく分かっていませんでした。でもよく考えると、あの時誘いに乗っていたら一体どうなっていたんだろう?いやいやフフフ・・・とも思いますがよく考えたら公安的な人が踏み込んできて、親を悲しませる結果になったのかもしれません。・・・若く世間知らずで良かったとも思います。
およそ3週間の一人旅を終えて上海から大阪までの帰路につきました。帰りも行きと同様上海からの船でした。同じように2泊3日かけ大阪に帰りました。行きと比べると帰りは大きく船が揺れることもなく随分快適な船旅でした。
大阪に着いた時、ああ本当に初めて一人で海外行って帰ってきたのだなー、と何か冒険を終えたあとの充足感のような、また少し大人になったような満足感がありました。ちなみに日本に帰ってきた時、私の顔はヒゲで覆われていました。当時私の旅人・バックパッカーのイメージはヒゲモジャでした。
御多分にもれず私も中国旅行中ずっとヒゲは生やしっぱなしでした。当時それがカッコいいと思っていたんだと考えると恥ずかしいです。しかし、それもこれも今思えば20歳になる前のこと。10代の内に海外に行けたことは良い経験だったと思います。
大阪から名古屋に帰る新幹線の中では、次の冬休みにはどこに行こう?と、既に思いを巡らせていました。これが完全に海外にはまるきっかけでした。