ネパール旅行記19 ネパールでの黒歴史。ジャンベを乱打。

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彼女とカトマンズで過ごした時間はわずか2日ほどでした。しかし、ネパール自体が何やかんやで思い出深い国ということもあり、あの時のことは意外と鮮明に覚えていたりします。思い出した。そういえば昼間に買い物や観光をしただけでなく夜遊びも一緒にしました。

当時のタメルには3つほどのディスコとスヌーカーが一緒になったようなお店が点在していました。そしてそれらの店はまるで隠れるようにひっそりと存在していました。そんな店には地元の人よりも世界中からくるバックパッカーが集まっていました。

どちらともなく、ちょっと飲みに行こうか?なんて話になり夜の社交場へ向かうことになりました。その中でも特に思い出深いのは、雑居ビルの2階、その奥にひっそりとあった飲み屋のことです。誰に教えてもらったのか、確か宿の若いお兄ちゃんだった気がします。

店に着き扉を開けるとL字型の店内にはぎっしりと客がいました。外国人7、地元の人3、くらいの割合だったかと思います。またそんなL字型の店内の奥は小上がりになっており、まるで日本の座敷のようになっていました。そこにまたちゃぶ台みたいなテーブルが置いてありました。

そのうちの一つにちょうど2人座れそうなスペースを見つけたので彼女と座ることにしました。店内はすし詰め状態の熱気とたばこの煙でくすんでいましたが、自然と居心地は悪くありませんでした。

彼女と一緒にビールを注文すると私の真後ろの男性から声をかけられました。彼はドイツ人のようでした。お前らジャパニーズかと。そうだと答えると、やっぱりなと。こんなところに来る東洋人はジャパニーズくらいだと、ニヤリと笑っていました。

なぜかその後はそのドイツ人と一緒に飲むことになりました。彼の名前は失念(ノートに書いてありません)してしまいましたが、覚えているのは彼からバックギャモンのやり方を教えてもらい、一緒に遊んだことです。

そう、確かにあの時にバックギャモン教えてもらったのに、今では全く思い出せません。そして過去の記憶であやふやですが、なぜか私が店に置いてあったジャンベを叩いているシーンもはっきりと覚えています。

それが一体何故だったのか?確か、そのドイツ人が初めにジャンベに手を出して、ひとしきり叩いた後、それに飽きたのか私に渡してきたのではなかったか?そして、心のままに叩け、的なことを言われ、当時イタかった私は、その言葉に乗せられて、ジャンベを叩いたような・・・

そんなに広くない店内。さぞかし私の叩くジャンベは煩かったでしょうに。でも誰からも怒られることもなく私はしばらくの間店内のBGMに合わせてジャンベを叩いていました。それが格好いいと自分で思いながら。女づれで一体なにをしているのか?これも思い出すたびに赤面する黒歴史の一つです。



ネパール(絵を見て話せるタビトモ会話) (絵を見て話せるタビトモ会話―アジア)