ネパール旅行記 ネパール×ホーリー

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私はバックパッカー時代ネパールに毎年のように行っていました。初めに惹かれたのはその半端じゃない異国情緒感でした。そして雄大で圧倒的なヒマラヤに惹かれました。しかしいつしかその目的が少しずつ変わってきていました。

そういつしか私はネパールにホーリーに参加するために通いだしていました。ちなみにホーリーとは何ぞやと言うと、

ホーリー祭(Holi)とは、インドやネパールのヒンドゥー教の春祭り。春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝う。wiki

しかし、私が好きなのはネパールのホーリーであって正直インドのホーリーはご免でした。インドとネパールはよく地獄と天国に例えらます。

インドからネパールを地獄から天国。

ネパールからインドを天国から地獄。

別にネパールの方が裕福なわけではありません。むしろ当時のネパールはバングラディッシュと並んでアジア最貧国だったはずです。しかしネパールは何故か居心地がよかったのでした。そう。インドでの毎日のように現地人と喧嘩腰で交渉などしなくてよかった。

逆にネパール人はインド人と違って恐る恐るふっかけてくる感じでした。まあふっかけてくるはふっかけてくるのですが、その様子がおかしくかわいらしく、こちらもにこやかに交渉できました。ネパール人は穏やかでした。

それはホーリーの内容にも如実に現れていました。インドのホーリーは容赦がありません。暴動一歩手前のようでした。インドのホーリーは一部では、世界最悪、世界最恐の祭りともいわれていたりします。

スペインのトマト投げ祭りやイタリアのオレンジ投げ祭りのように固形物を投げ合うわけではなく、水分を投げ合うのになぜ危険なんだと不思議に思う人もいるかと思いますが、それはこの投げ合う水に色を付け始めてからおかしくなり始めました。

そして次第にもはや水ではなく色のついた粉(色粉)を投げ合う祭りにもなりはじめ、ホーリーの期間中は町中がまるでカラフルな色の濃霧にのみこまれたような状態になります。当然そんな視界の悪い状況でいろいろな悪事を働く輩も現れます。

特に女性はセクハラの被害にも会いやすい。そんな祭りが数日にわたって行われます。またホーリーの日はうっ憤、ストレス発散の日にもなっており、特に外国人は目立つせいか標的になりやすかったりします。

”ホーリーだからって何してもいいわけじゃないぞ、おらー!”

そうインド人に怒鳴りながら祭りに参加したこともあります。

それに比べればネパールのホーリーはまだ秩序がありました。適度にはめをはずして楽しめました。確かにホーリーのことを知らず、街中をバックパックを背負って歩いている観光客に色つき水を屋上からぶっかけるなどの行為はありました。しかし、それはホーリーのことを調べてこないほうが悪い。

そんなネパールでのホーリーの私の楽しみ方は、何といっても宿泊しているゲストハウスの屋上に上がり、隣近所の同じように屋上に上がっている旅行客や地元の人たちと水風船をぶつけあ中距離戦でした。もちろん外を歩いている水かぶりたがりにも水をかけていたが、そんなことよりも隣近所とのコントロール合戦に夢中になっていました。

しかしそれよりも楽しかったのは、その戦いが終わった後、夜のことでした。夜になり外に出ると同じようなタイミングで隣近所の建物から人が出てきたりすることがあります。つまり昼間に水をぶつけあっていた相手と出くわすことがあるわけです。

お互い一瞬、あ!みたいな感じにはなるのですが、その後はきわめて高い確率で仲良くなり、一緒にご飯でもどう?みたいな話になり一気に仲良くなれます。それが外国人旅行者だろうが現地の人だろうと。ちなみに余談ですが、ネパールはヒンドゥー教ということもあり中々現地人女性との出会いは難しいのですが、この時だけは仲良くなることができました。

このように戦いの後の、ジャンプの漫画でよくあるような、本気で戦った相手と仲間になる、昨日の敵は今日の味方みたいな、悟空とベジータみたいな、そんな展開が好きでした。一度そんな経験をしてしまったためか、私は毎年ホーリーの時期になるとネパールに通っていました。




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