ああ懐かしのビーマンバングラディッシュ航空

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なぜかふと思い出した懐かしのビーマンバングラディッシュ航空。私は昔、今から20年近く前にネパールにはまっていました。と言ってもネパール入国回数は4回ほどなのですが。しかしあの時は今のように毛沢東主義者が跳梁跋扈し息苦しくなる前のもっと自由でカオスだったころのネパールです。

そんなネパール旅行をするのによく使っていたのがビーマンバングラディッシュ航空でした。かつての私は当時の旅人同様タイを旅の起点としていました。かつては世界中どこに行くにはタイのバンコクでチケットを買った方が安いといわれていた時代です。

それは例え日本からヨーロッパに行く場合でも、直接行くより、いったんタイまで行ってそこからタイ-ヨーロッパのチケットを新たに買った方が安い時代でした。そんなタイからネパール行きの飛行機はバングラディッシュの首都ダッカに一泊してからネパールのカトマンズに向かう旅程でした。

ちなみにバングラディッシュという国は、北海道くらいの大きさの国土に日本以上の1億3000万人が暮らす超密度国家。そんな当時のダッカの空港はお世辞にも綺麗とは言えず、とても粗末なものでした。日本の地方空港どころかその辺の鉄道の駅よりも小さい建物。確か平屋建てで国際空港なのにレーンが3つとかだったような気がします。

また空港に着いて荷物を受け取り、外に出たらすぐ敷地外を区切るフェンスがありました。空港の敷地狭っ!と思いましたが、そんなことよりもはるかに衝撃を受けたのは、その敷地を隔てるフェンスに地元のひとがへばりついていたことでした。言葉は悪いですが夜の街灯に集まる虫のようでした。そんな地元の人がなぜか大量にへばりつくフェンスを抜けて指定のホテルまでバスで向かうというものでした。

ダッカに到着したのが夜ということもあり、そのままホテルで用意されていた食事を食べて、翌朝まで部屋でのんびりするしかありませんでした。基本外出できませんでした。というかパスポートは空港保管されているので身分証明ができないので外出するのは危険でした。今でもそうなのかはわかりませんが。

当時のネパールは日本人旅行者に人気のスポットで、格安のビーマンバングラディッシュ航空でネパールに向かうとよく同じ目的の日本人旅行者もいました。飛行機会社から指定されているホテルはシングルではなくてドミトリー(団体部屋)なのでホテル側も配慮して日本人は日本人同士で部屋を割り振ってくれたりしていました。

しかし、一度中東のどこの国かわからない民族衣装をきた男の人二人と相部屋になった時は困りました。まず言葉が通じない。英語が通じず、身振り手振りで先にシャワー浴びていいかとか意思疎通を図らないといけませんでした。

また何よりも恐ろしいのは、そもそもの飛行機のこと。私の記憶が確かならば、離陸も着陸も何度も失敗した記憶があります。その原因の一つは霧でした。”濃霧のため離陸ができません”とアナウンスが流れ、ダッカの空港の待合室で数時間待ったり、カトマンズ上空で霧が晴れるのを待つべく何回も旋回したり・・・

当時はおかしいテンションのバックパッカーだったので面白がっていたのですが、今から考えるとかなり怖い経験をしたものです。20年も前のことなのに記憶が鮮明に残っています。