バックパッカーと深夜特急の関係性

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日本人は代名詞というかキャッチーな宣伝文句が好きです。と言うかそういうのに弱い。全米が泣いたとか、世界三大~とか、今世紀最高とか。そんな中同じように惹かれてしまうのが最北端とか最南端という文句。何故だか分からないが惹かれてしまうものがあります。

ユーラシア大陸最西端

ロカ岬は、ポルトガルの首都リスボン近郊にある ユーラシア大陸最西端 です。そんな大陸最西端のロカ岬を目指すバスはリスボンから30分ほどで着きます。そこにはポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ有名な詩の一節、「ここに地果て、海始まる」とかかれた石碑が立てられています。

一説によると、新大陸を目指す冒険者がこの岬を背にして旅立ち、新大陸発見を成し遂げた後、帰国する時に目印にしたとされる岬です。何とも哀愁を誘う場所。当然私もヨーロッパ横断中に立ち寄ったのですが、このロカ岬は完全に観光地化されており、リスボン市内からの運行バスに加え、大型の観光バスも数台止まっており、せっかくに雰囲気を台無しにしていました。

また案内所で”あなたは最西端まで来ましたよ”的な証明書を発行してくれます。私も一応もらってきましたが、ビジネス過ぎて興は削がれます。

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深夜特急

しかし実はそんなロカ岬よりも日本人バックパッカーに有名な岬があります。それがユーラシア大陸 南西端 サン・ヴィセンテ岬沢木耕太郎著作「深夜特急」でユーラシア大陸横断中の主人公、沢木耕太郎がその旅の終わりを決意する岬でもあります。

皆さんは「深夜特急」という本を知っているでしょうか?世界を放浪する日本人バックパッカーにとってはバイブルと呼ばれている本。世界中に存在する日本人宿や、バックパッカーが集まる宿には、たいていこの深夜特急が置いてあったりします。

また旅先で出会った日本人バックパッカーに深夜特急を持っている人も多いです。そして沢木耕太郎が「深夜特急」の中で辿ったルートは、バックパッカーの間で深夜特急ルートと呼ばれていました。例えば、トルコで出会った日本人バックパッカーはほとんどと言っていいほど、トルコからギリシア、イタリアという「深夜特急」のルートをなぞるように、ヨーロッパに渡っていました。

バスの中は全員日本人

大陸南西端サンヴィセンテ岬を目指すバスの中は全員日本人でした。
私はモロッコを一周した後スペインに戻りセビーリャに滞在していました。もちろん目的はそこから「深夜特急」で沢木耕太郎が旅の終わりを決意した、ポルトガルのサン・ヴィセンテ岬に向かうことでした。ちなみにこの時モロッコのタンジェで知り合った日本人バックパッカーと、セビーリャまで行動を共にしていたのですが、その彼も私と同じく、セビーリャからサン・ヴィセンテ岬に向かう予定でした。

セビーリャでは同じドミトリ―の部屋に泊まっていたのですが、当時大学生2年生だった私はどうしても、一人で岬に立って大西洋が見たい、と中二病が爆発していたので、セビーリャで同居人の日本人バックパッカーを置いて、一人で逃げるようにサン・ヴィセンテ岬を目指しました。

セビーリャからサン・ヴィセンテ岬のあるサグレスという町へのバスは初めは乗客が大勢乗っていたのですが、一人降り二人降り、最終的には、ラゴスというヨットハーバーのある町で、私を含む日本人4人以外全員降りてしまいました。

結果、車内は日本人だけになるという何とも恥ずかしい状況になってしまいました。全員「深夜特急」か・・・。私はそう独り言ちました。そしてお互いに気恥ずかしさがあったのでしょう、全員誰とも話そうともせず、もちろんサグレスに着いた後にも一緒に行動するようなことはありませんでした。

サグレス

終点サグレスは町中が真っ白な小さい美しい町でした。バスが止まった瞬間、うちの部屋に泊まらないか、と近所のおばちゃん達が集まってきました。どうやら地元の人たちにも何故か日本人が休みになるとこの町に訪れる、そう評判になっていたのか、片言の日本語を喋るおばちゃんもいるほどでした。

私は、そのうちの一番ニコニコしていたおばちゃんの部屋を借りることにしました。サグレスは小さな町なので特に何もなかったのですが、小さなビーチがあったのでそこでトランクスで泳いだくらいでした。

サン・ヴィセンテ岬はそんなサグレスから6キロほどの距離にありました。大西洋に向かって地平線まで伸びている何もない道をひたすら歩くと、目的の場所であったサン・ヴィセンテ岬に着きました。

そこには地元の人なのか、同じく大西洋に沈む夕日を見ている人がいました。私は夕日が完全に大西洋の向こうに沈みきるまで水平線を見ていました。その結果、電灯も何もない真っ暗な道を6㎞を歩いて帰る羽目になりました。野犬や地元のヤンキーに襲われるんじゃないかとビクビクしながら。

最終的に恐怖をごまかすために大きな声で歌いながら歩いたのは、今となっては良い思い出です。後から聞いた話では、サグレスに貸し自転車の店があったということでした。

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当時若くバカだったこともあり、できた経験だったと思います。今となってはやりたくてもできないことばかりしてきました。というか深夜特急ルート自体、イランやイラクの関係で今現在通れません。そういう意味では中二病が爆発してたとはいえ貴重な経験をしたのだと思います。