中東旅行記13 ヨルダンに到着。そのままペトラに向かう

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さて、シナイ登山を終えまたダハブのビーチでダラダラしていました。しかし、このままではここに永遠に腰を落ち着けてしまうかもしれない。欲望に負けそうになりながらも重い腰を上げてヨルダンに向かうことにしました。そう。今回の目的は何といってもシリアのダマスカスに住む好きな女性を訪ねる旅行。いつまでもダハブでダラダラしている時間はありません。

エジプトからヨルダンまでの国境移動は船でした。ダハブからタクシーで船が出るヌエバアまで向かいました。そこで対岸のアカバまでの船のチケットを32ドルで購入しました。なぜかUSドルでした。船はボロボロの貨物船みたいな船でした。

13時半出発の予定でしたが、実際に出発したのは15時。到着したのは18時過ぎでした。ちなみに船内で同じく中東旅行中の日本人女性二人組と出会いました。こちらも二人組ということもあり、旅は道連れ、一緒に行きますか?ということになり、ともにヨルダンを目指すことになりました。

ヨルダン入国後、私たちの目的地は皆一緒。世界的に有名な世界遺産、ぺトラ、です。そうあの映画“インディー・ジョーンズ/最後の聖戦”の舞台にもなった遺跡になります。このぺトラのある町まで港から4人で同じタクシーをシェアして向かうことにしました。

そしてぺトラについたのは夜遅く。当時は旅行の情報は、口コミや情報ノート全盛の頃。カイロやダハブで見た情報をもとにゲストハウスを尋ねました。最初に行ったゲストハウスはフルということで断られましたが、2件目のゲストハウスは空きがあるとのこと。しかもドミトリーの部屋でちょうどベッドに4つ空きがありました。

女性二人と相部屋になりますが、そこは彼女たちも当時今から20年近く前に中東を旅するような強者です。正直タイマンしても善戦するんじゃないかという感じの二人組でした。彼女達も笑顔で部屋空いてて良かったねー、と同部屋になることに躊躇すらしていませんでした。

その日は夜遅いということもあり、当然観光はできないので、4人で夕食に繰り出すことにしました。全然関係ありませんが、私以外の3人は皆有名大学在学でした。確か年は私と一人の女の子が同じ年。もう二人は一つ下でした。

・・・ノートによると、ダハブで会った一つ下の日本人の男の子は慶応大学。女子二人は同志社大学でした。彼らの大学名はもちろん私も聞いたことがあります。当然、その後は、私にも、どこの大学ですか?みたいな話になります。

しかし、私の出身大学は愛知県のマイナー大学。まあ愛知県出身者なら名前を聞いたことはあるかもしれない、くらいの大学でした。当然彼らのような全国的に有名ではありません。

いやー俺は愛知県の大学で・・・

>愛知県ってことは・・・名古屋大学?

違う違う違う。

>だったら南山大学?

あー、違う違う。

>じゃあ・・・中京大学だ!

それも違うんだなー、○○大学ってところ。

>・・・へー。

みたいな感じでした。私自身別に学歴なんて気にしていません。そして彼らも悪気があるわけでなく、本当にただ単に興味本位で聞いているだけなのですが、逆に彼らに気を使わせてしまったかもしれません。結果、それ以降大学の話はしなくなりました。まあ、私たちはわざわざ中東まで来ているわけですから、そんなところまで来て学歴うんぬんの話なんてあまり関係ないのですが・・・。



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