中東旅行記14 ペトラを観光する

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次の日。皆で朝早く起きてペトラ観光に出かけることにしました。私たちが泊まっていたゲストハウスからペトラ遺跡まで2㎞ほどの距離でした。歩いていくこともできたのですが、ゲストハウスから車を出してくれるということで4人で車をシェアして行くことにしました。

入口からぺトラ遺跡の中心部へと導く峡谷(シーク)を行くと出迎えてくれるのは、エル・ハズネ(アラビア語で「宝物殿」の意味)でした。まさにそこに広がっていたのはインディー・ジョーンズの世界でした。

そしてそこからペトラ遺跡内に入っていきます。ペトラ遺跡は広大な広さを誇ります。何でもペトラは今でも発掘中で全体の85%はまだ未発掘だそうです。どうか、ISISの輩に破壊されないことを祈ります。しかし、ダメだ、ペトラの凄さは言葉では言い尽くせません。

私は思わず呆けたように、そして狂ったように写真を撮りまくっていた記憶があります。エル・ハズネエド・ドイルも良かったのですが、シンプルに丘の上からの風景が好きでした。ちなみに確か当時私は、使い捨てカメラを使っていたはずですが、ちゃんと写真が撮れていました。当時の俺サンキュー。

ペトラ遺跡内では全員バラバラに観光していました。全員が全員もともとは一人旅。必要な時にだけ一緒にいればいい。それ以外は全部自由行動。皆好きな時に好きなところに行き、好きな物を見て、好きな時に休んで、好きな時に帰る。こういうところが一人旅の気軽さかもしれません。

ただよくよく考えてちょっと困ったのが帰りのこと。そういえば行きは皆で一台の車をシェアしてやって来たんだった・・・帰りはどうしよう・・・まあいいか。足があるんだから歩けばいいじゃない。ってことであまり気にせず観光していました。

しかし、ペトラは暑い!観光客に快適に観光してもらうための施設なんて当然ありません。まあそんなものがあったらあったでエジプトのピラミッドのように記事参照興ざめになってしまうので別によいのですが。そのため、遺跡を眺めてボーっとする時間が増えていました。

そして気づけば日も暮れ始めていました。こんなに時間の経過を忘れて遺跡にいたのは、カンボジアのアンコールワット以来かもしれません。そろそろ帰るか・・・そう思い来た道を引き返すことにしました。道すがらひょっとしたら仲間に会えるかな、とも思いましたが、そんなことはなくそのままペトラを出ました。

来たときの車からの景色で大体の道は覚えていたので一人で歩いて帰りました。そう。当時の中東は治安がものすごいよかったのです。そのためペトラ遺跡からゲストハウスに帰る数㎞の道のりをダラダラ歩いていても特に危険を感じるようなことはありませんでした。ISISさえいなければ今でも当時のように気軽に中東旅行ができるものを・・・。

そんなこんなでゲストハウスに到着すると私以外の3人は既に戻っていました。どうやら私が一番長々と観光していたようです。そして夕食に行くため私が帰ってくるのを待っていてくれたようでした。




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