歴史に埋もれた偉人
メキシコ革命に参加した日本人移民たち。
とかく日本人は謙遜がすぎます。言わなくても分かってくれる。言うなんて野暮だ。もちろんその姿勢は美しいと思います。しかし、それはあくまで日本の常識。日本の常識は世界の非常識となることもあります。国際社会では発言しなければ主張しなければなかったことと同じになってしまいます。
醜い。みっともない。日本人の私たちがそう思ってしまうのは仕方がありませんが、その点は中国や韓国を少しだけ見習って、もう少し日本の偉人たちを誇って喧伝してもいいのではないかと思います。
その中でもメキシコ革命に参加した当時の日本人移民、野中金吾、が昨今メキシコのニュースなどで注目されています。この人物は、パンチョ・ビジャ、というメキシコの歴史的な英雄・偉人とともにメキシコ革命に参加した人物です。
野中金吾氏
1906年に移民としてメキシコに渡り,1910年から1914年にかけ,フランシスコ・マデロやフランシスコ・“パンチョ”・ビジャという歴史的偉人と共にメキシコ革命に参加した人物です。野中氏は元々、移住後に暮らしていた町の市民病院で働いており、後の大統領フランシスコ・マデロ氏を治療した縁で、マデロ軍に入隊。政府軍に占領されていた複数の都市の奪還・占領などに関わり、メキシコ革命の結果を左右する活躍を見せた北部師団の、奇兵隊第一大尉を任命されるまでになります。革命後には、国立循環器病研究センターの設立者の1人となり、民主化を果たしたメキシコの発展のために尽力しました。引用
また野中氏以外にも多くの日本人移住者がメキシコ革命に参加してその功績を称えられています。
多数の日本人移住者はメキシコに留まり、各地で編成された革命軍に入隊する者もいた。例えば、西野ツルオ氏は、パンチョ・ビジャ将軍の個人コックになったと伝えられている。また、ディアス政権のときに柔道の指導員としてメキシコにやってきた原田シンゾウ氏は、ディアスの亡命後は、ベヌスティアノ・カランサ、エミリアノ・サパタ、そしてフランシスコ・ビジャの兵士らに武術をを教えた。そして、ラ・オアハケーニャ農園から逃げ出したあの田中ゼンゾウ氏も北西部の軍隊に入隊して、奇兵隊の中尉にまで昇進した。革命後、彼らの活躍ぶりは誰もが認めるところとなった。例えば、中原エミリオ氏は二等軍曹として、そして山根アントニオ氏はカランサの護憲革命軍の一等大尉に抜擢された。パンチョ・ビジャ将軍の部隊にいた野中金吾氏の逸話は息子の野中ヘナロ氏によって記録されている3。金吾氏が写真やメモをたくさん残してくれたおかげで、福岡出身の彼は1906年、叔父と一緒にメキシコに入国したことがわかっている。当時16歳で、叔父とともにラ・オアハケーニャ農園で働いた。しかし、あまりの過酷さと非衛生的な環境ゆえに叔父はマラリアで入植から数ヶ月後に亡くなってしまった。そんな中、野中氏と多数の日本人移住者はアメリカ入国を目指してメキシコ北部に向かうが、その目的は達成できず、チワワ州のシウダー・フアレス市に留まって定住することを決意し、種子と飼料の店を開店する。しかし、革命によって経済情勢が悪化し、山賊が多発したため、経営が成り立たなくなった。仕事をなくした野中氏は、地元の市民病院に採用され、のちに看護助手まで昇進する。各地が戦闘状態だったため、仕事が非常に多く、現場で多くのことを学ぶことができたため、野中氏の手術補助や医療処置技術は普通の看護師のスキルよりはるかに高かった。1911年3月、野中氏は同胞に会いにカサス・グランデスという村を訪れた。その時、連邦軍とフランシスコ・マデロ軍との闘争に遭遇した。マデロ将軍は敵の手榴弾の破片で負傷し、野中氏がその処置に当たった。その結果、マデロ軍に入隊することになり、その年の5月に展開したシウダー・フアレス市の奪還と占領に関わった。連邦軍は敗退し、その結果ポルフィリオ・ディアス大統領は辞任に追い込まれ、マデロ将軍が大統領になった。このシウダー・フアレス市の戦いが終わった後に、野中氏は市民病院の看護師部長になり、戦闘で負傷した多くの兵士の治療に当たった。野中金吾氏は、病院の職員のことをよく把握していたため、パンチョ・ビジャ将軍に頼まれてより優れた医師や看護婦を引き連れチワワ州に向かった。そこで、ビジャ将軍の本体と合流し、「移動巡回医療班」として同将軍の北部遠征に同行した。これはマデロ大統領を殺害したビクトリアノ・ウエルタ将軍が支配していた地域を奪還するための軍事作戦だった。野中氏は一等大尉として、メキシコ革命を左右する北部師団による重要な戦いの数々を目にした。今日、伝説ともいうべき最も有名な写真の一つが、パンチョ・ビジャ将軍と一緒にいる野中金吾氏の写真である。二人とも馬に乗っており、金吾氏は多くの負傷者を運んでいる救急馬車にいる。ディスカバーニッケイ
全くこのような日本人がいたことを現在の日本人がよく知らず、外国人から教えてもらうというのはどうなのでしょうか?子孫として恥ずかしい・・・日本はすごい。日本人はすごい。とどこぞの国のように歴史オナニーする必要はありませんが、その事実くらい同じ日本人として知っていてしかるべきなのではないかと思います。
このような隠れた功績や歴史が、今なお世界中で日本人が、人畜無害で誠実で信用できる、と好意的に受け入れられている遠因なのだと思います。本当に日本人の祖先には感謝しかありません。
ラテンアメリカの日系人―国家とエスニシティ (慶応義塾大学地域研究センター叢書)