中東旅行記15 ヨルダンの首都アンマン到着

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ペトラ観光を無事に終えた私たちの行き先は、いよいよヨルダンの首都アンマンでした。ちなみにアンマンへは、エジプトのダハブから道連れになりヨルダンに渡りペトラを一緒に観光した皆で目指すことになりました。そんなアンマン行きのバスは予定よりも40分ほど遅れて朝の7時に出発しました。

そういえば4人で行動を共にして旅行するなんてことは過去のバックパッカー体験でも、そしてその後の旅行でもあまりないことでした。何と言うか窮屈でもあり、そしてその反面楽でもありました。何より持っている情報量が4倍になるということが頼もしいものでした。

・・・まあとは言ったものの当時の中東旅行なんて、宿にしろ、食堂にしろ、そんなにオプションがあるわけではありません。そのため皆が持っている情報は大概一緒です。なので純粋に4倍というわけにはならないのですが・・・それでもやはり安心できるというのは気楽でした。

しかし、ここで一つ気が付いたことがあります。既述のように私がダハブ行きのバスで出会った日本人旅行者は慶応大学生の男の子。他の女子二人も同志社大学生とエリートです。対する私はというと地元名古屋の人しか知らないローカル大学生な衆愚。

それにも関わらず、旅先などでの交渉の英会話はなぜか私が担当してました。偏差値が10は違うというのに・・・・初めは頭の良い彼らに任せていました。しかし、何か要領を得ない。相手にあまりこちらの意図が伝わっていない様子。そうか。これが日本の英語教育の弊害か・・・と現実を目の当たりにしてしまいました。

というわけで途中からと言うか、早々に我慢できなくなり、私が率先して交渉して、ごり押しして、先導するようになっていました。そう。この頃の私は今とは違い、相手が、欧米人だろうが、アラブ人だろうが、インド人だろうが、NOと言える日本人でした。そのせいでこの後シリアでタクシーの運ちゃんと掴み合いの喧嘩をすることにもなるのですが・・・

まあ、そんなことはともかく無事ヨルダンの首都アンマンに3時間ほどで到着しました。アンマンはさすが首都ということもありカイロのような大都市でした。4人で泊まれる宿も確保してほっと一息つき食事へと出かけることにしました。