中東旅行記17 イスラエル×インティファーダ

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しかし、今から考えるとのんびりしていたムードのイスラエルでさえ、その緊張感から早くヨルダン帰りたいなーとか思っていた私は、臆病者なのかもしれません。そんなチキンな性格が功を奏したのか?あれに巻き込まれなくて済みました。そんなあれとは・・・インティファーダーです。

インティファーダーとは・・・

パレスチナのインティファーダは「イスラエルによるパレスチナ軍事占領に対する2度の民衆蜂起(あるいは抵抗運動)」に対する呼称として一般的に使用される。(略)

第2次インティファーダ(アル=アクサ・インティファーダ)は、2000年9月28日に発生した。イスラエルのシャロン・リクード党首・外相(後に首相)が1,000名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに入場したのがきっかけであった。

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エルサレムにおけるイスラエルに対するパレスチナ人の抗議活動。今ではトランプ大統領がイスラエルの首都をエルサレム認定と余計なことをしていますが、しかしもちろん当時と今では問題の質が違うと思います。当時のは、デモンストレーションと言ってしまうと聞こえは悪いですが、シールズのデモと大差n・・・ごめんなさい。あんなクソしょうもないものと比べてしまって。

まああそこまで超超超絶劣化はしていませんが、それでも今のインティファーダと比べるともう少し安穏としたものでした。だからこそ私も友人に誘われて参加していました。参加しているというと誤解されますが、本格的なインティファーダーの前にも小競り合いみたいなデモが当時は頻発していました。

その後カナダで在バンクーバー中国大使館前でFREE TIBETの集会に参加したことがあります記事参照が、それと同質・・・いやもう少し過激だったかもしれませんが、それでもそこまで剣呑としたものではありませんでした。そんな中私は、あくまで何の主義主張もなくただ誘われて参加していました。本当に申し訳ないですが観光の一部でした。本当ごめんなさい。

しかし、そういえば当時ヨルダンの首都アンマンでは本格的に活動というか、布教というか、パレスチナの現状に対する抗議活動を熱心に広めている日本人の人がいました。そしてアンマンの宿で、ある人が勉強会みたいなものをやっているから行かない?と誘われたこともあります。

当然私はそんなもの全く興味がない(それはそれで問題あるのかもしれませんが)ので、参加しませんでしたが、当時同じ宿に泊まっていた一つ年上の大学生の人が熱心に中東のパレスチナ人の現状に憂慮してその勉強会にしていました。確か彼は早稲田だったような気がします。

その後彼は2000年の9月28日に起きた第二次インティファーダーにがっつり参加して、なんと前線まで出て、イスラエル軍に向けて石を投げた、とのことです。”イスラエル軍の威嚇射撃が俺の頭の上を飛んで行きましたよ”と喜々として話す彼を、あー彼はあっちの世界に行っちゃったんだな、と思いながら見ていた記憶があります。

余談ですが、その話は後日、1年後にバンコクのゲストハウスで再会した時にその彼から直接聞くことになります。しかし、ヨルダンで会った時は爽やかイケメンだった彼は、1年後に再会した時には、丸坊主に丸メガネ、その風貌はまるでガンジーのようになっていました。何があったんだ一体?

まあ私はといえば、君子危うきに近寄らず、ということで、ただ単に怖かっただけなのですが、一泊だけしてすぐにイスラエルを離れヨルダンに戻りました。



アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図 (講談社現代新書)