海外移住日記108話 健康で文化的な生活とは何かを考える

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引っ越しをするに際してまず一番初めに考えたことは、家賃を上げるのか、それとも下げるのか、ということでした。家賃は収入の2割まで、なんてファイナンシャルプランナーの話を聞きますが、シラチャプレイスは当時の私の給料からしても安い家賃でした。というより光熱費ネット代、必要経費や固定費を含めても2割にも達していませんでした。

というか元来物欲というものがほとんどなく、さらに出不精の私は、日本にいた頃もお金を使うということがほとんどなく、貯金をしているつもりは全くないのにお金が貯まっている状態でした。それは日本に比べて給料が低い(生活コストも低いけど)タイでも同様でした。

周囲の日本人やタイ人からはどうしてそんなに貯金があるの?と尋ねられていました。いや、お金使わないから。使うところがないから。欲しいものがないから。そう当然のように答える私を見て皆不思議そうな顔をしていました。そして、それなら私が使ってあげる!という、もう何百回も言われた言葉を聞いて、いやいやいや。ははは・・・というやりとりも愛想笑いを交えてできるようになっていました。

ということもあり、この際だから、これも良いキッカケだから、今回はもう少し家賃を上げる、もしくはお金を使ってしまおうと思っていました。というか家賃を上げよう・お金を使おうと積極的に思いました。どうせお金なんて使わないんだから、ちょっとくらい家賃を上げて生活環境を向上させても罰は当たりません。私も40手前。いつまで安い生活をしているのはどうなんだ?そう自問自答して自分を納得させました。

しかし、ただ闇雲に家賃を上げるというだけでは芸がありません。どうせなら家賃を上げた分、日本国憲法25条に書かれている”健康的で文化的な生活”を送りたい。今より生活が便利になってほしい。私は今タイにいて憲法は日本のだけど。洒落た言い方をするならQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を上げたい。

しかし、ここでハタと気が付きます・・・健康で文化的な生活とは一体何なんだ。ただただ高級なアパートに引っ越すことか?綺麗な内装の部屋に住むことか?生活家電製品に囲まれることか?うーん何か違う気がする。いや、そうなのかもしれないけど、どうもピンと来ません。

参った。やっといつもつまづく面倒くささや物欲のなさを乗り越えた矢先、今度は健康で文化的な生活とは一体何か?というまるで哲学のような問題に直面してしまいました。こうして私の引っ越しはスタートしました。