ヨーロッパ横断旅行記5 トルコは親日国だということを実感する

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そんなトルコでの生活が日本人宿でスタートしてしまったからか、私はイスタンブール滞在中ほとんど宿にいることはありませんでした。ほとんど、寝に帰る、くらいのものでした。まあ違うホテルを探しても良かったのですが、せっかく友人が悪気なくとってくれたものを無下にするのもどうかと思いました。

そのため私は日がな一日中、イスタンブールの街を歩き回っていました。当時はまだテロやら無差別攻撃やらがない、のほほんとした時代。そしてイスタンブールは散歩するには絶好の街でした。かつトルコは親日国?(ただ単に舐められているだけなのかもしれませんが)、街を歩けばまるで有名人にでもなったかのように声をかけられました。

おそらく当時(今から20年前くらい)ほとんどの日本人は、ナカタ!と声をかけられた経験があると思います。これは別にトルコに限ったことではなく、アジアでもどこでも同様に当時は必ずナカタ!と声をかけられたことと思います。たまに、ナカムラ!(中村俊輔のこと)なんてのもありました笑

おそらく最近?ちょっと前?だと、ホンダ!なんて言われていたと思います。本当サッカーの影響力はものすごいです。まあ悪い気もしなければ、そんな良い気もしません笑。というのも彼らのそんな行動は基本半分好意です。まあ半分何かを売りつけようとするものなのですが、それでもそこまで押しの強いものではありませんでした。例えるならインド的なうっとおしさではなく、ネパール的なちょっと控えめな感じでした。

またこちらが、何も買わないよ、そう言っているのにも関わらず、いいから上がっていけ!上がっていけ!と店に招き入れられ、気づけば片言の日本語を話すおっさんとアップルティーを飲みながら談笑する、なんてこともざらにありました。何なんだこの時間は・・・そう思いながらも意外と心地よかったりしました。

おそらく当時の日本人はみな同じようなことを体験したのではなかろうかと思います。もちろん悪い人もいます。騙されたり、高いものを売りつけられた人もいたのでしょうが、不思議とそういう話を聞く、というだけで自分の周りには嫌な思いをした人はいませんでした。

昔のことを懐かしむのは年をとった証拠なのかもしれませんが、本当あの頃は平和で良い時代でした。


イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ (中公新書)