ヨーロッパ横断旅行記12 本編

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ユーゴスラビアのベオグラードに到着したのは日が落ちかけた夕方のことでした。これはマズイ。早く今日の宿を確保しないといけない・・・というのも当時私が持っていたヨーロッパ版のガイドブックにはユーゴスラビアの記載は皆無でした。現役バリバリのバックパッカーとはいえ、何も情報がない中、かつ日が暮れてからの宿探しはかなり億劫です。

しかも、時は今から約20年前のユーゴスラビア。実は歴史的事件のまっただ中でした。

1991年6月、スロベニア・クロアチア両共和国はユーゴスラビアからの独立を宣言した。中略。セルビアが主導するユーゴスラビア連邦軍とスロベニアとの間に十日間戦争、クロアチアとの間にクロアチア紛争が勃発し、ユーゴスラビア紛争が始まった。十日間戦争は極めて短期間で終結したものの、クロアチア紛争は長期化し泥沼状態に陥った。1992年4月には、3月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言をきっかけに、同国内で独立に反対するセルビア人と賛成派のクロアチア人・ボシュニャク人(ムスリム人)の対立が軍事衝突に発展し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こった。同国はセルビア人・クロアチア人・ボシュニャク人の混住がかなり進行していたため状況はさらに深刻で、セルビア、クロアチア両国が介入したこともあって戦闘は更に泥沼化した。1992年4月28日に、連邦に留まっていた2つの共和国、セルビア共和国とモンテネグロ共和国によって人民民主主義、社会主義を放棄した「ユーゴスラビア連邦共和国」(通称・新ユーゴ)の設立が宣言された。クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は国連の調停やNATOの介入によって、1995年のデイトン合意によって漸く終結をみた。しかし、セルビアからの分離運動を行うアルバニア人武装勢力の間では、武力闘争によるテロ活動が強まった。また、ボスニアやクロアチアなどの旧紛争地域で発生したセルビア人難民のコソボ自治区への殖民をセルビアが推進したことも、アルバニア人の反発を招いた。1998年には、過激派のコソボ解放軍(KLA)と、鎮圧に乗り出したユーゴスラビア軍との間にコソボ紛争が発生した。紛争に介入したNATO軍による空爆などを経て、1999年に和平協定に基づきユーゴスラビア軍はコソボから撤退した。

引用:wiki

何という偶然か、私がユーゴスラビアのベオグラードにいたのがちょうどコソボ紛争の直前でした。当然能天気な私は、当時のヨーロッパの、ユーゴスラビアの、状況をよく理解しないままユーゴスラビアを訪れていました。今にして思えば確かに今まで訪れたどこの国よりもピリついた雰囲気があったのは、上記のような状況に置かれていたからかもしれません。

しかし、そんなことよりもその時は、今日の宿をどうしよう・・・そのことしか頭にありませんでした。本当今から考えると空恐ろしく、我ながらのんきだったなーと思います。


ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)