ヨーロッパ横断旅行記13 ユーゴスラビアのベオグラードで宿なき子になる

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そんな歴史的な事件前夜のユーゴスラビア。そこにのほほんと到着した私。既述のようにユーゴスラビア情報は何も手元にありませんでした・・・まあ、それでも何とかなるか、そう考えてしまったのは、平和ボケした典型的な日本人のそれなのかもしれません。あとあと、というかすぐ数分後には、それが大きな間違いだということに気づくことになります。

”まあ駅にはツーリストインフォメーションくらいあるだろう。首都の鉄道駅だし”なんて思いながらインフォメーションに探すとやはりありました。そしておもむろにデスクに座っているおばちゃんに、この近くでホテルを探しているんですが・・・そう英語で尋ねると、これが接客業の人間がする表情か!と思うくらい嫌そうな顔をして、”I don’t speak English!”と言われて門前払いされてしまいました。

いやいやいや!何でだ!困ってるから教えてくれ!そう何度も食い下がろうとするも、もはや奴はこっちを見ようともしません。さすがに腹が立ち、バカか!クソが!!と日本語で悪態をつきながらインフォメーションを離れました。仕方がない、やっぱりこのまま夜行列車でハンガリーまで移動するか・・・

そう考え、今度はチケットオフィスに向かい、今日出発のハンガリー行きの夜行列車があるかどうかの確認をしました。すると今日はすでにfullだと言われてしまいました。ちくしょう・・・完全に途方に暮れた私は鉄道駅の正面で佇むしかありませんでした。

どうしようこれから・・・適当に歩いてホテルを探すか?いやいや手元には地図もないぞ。外は既に暗くなっているし、なんか街中ピリついているし・・・そう思いどうしたものかと悩んでいると一人のおじさんに話かけられました。

ハロー、宿を探しているのか?

>(誰?)・・・そうですけど

良かったら家に泊まらないか?

>え?・・・えー、と言うと?

うちの部屋を旅行者に貸しているんだよ。プライベートルームだ。

そう話しかけられたものの、正直第一印象は、こいつ、うさんくせー、でした。大抵この手の勧誘は海外でロクなことがありません。このまま取って食われるんじゃないか、イイカモにされるのではないか。そう思いましたが私にはあまり選択肢がありませんでした。

通常であれば、あんな誘いには乗ることはなかったと思います。しかし、行くあてが全くなかった私は、苦渋の決断をして彼の誘いに乗り、彼の後について行くことにしました。


ユーゴ紛争―多民族・モザイク国家の悲劇 (講談社現代新書)