我慢せずに生きる。生きがいを何に求めると気楽に生きられるか?

Pocket

”仕事”とは何か?

あなたにとって仕事とは一体何ですか?そんなまるで哲学のような問いかけをされても、そんなん聞かれても知らないよ、と思わず言いそうになります。しかし、会社の面接などで聞かれると一般的には以下のような答えが正解?になるようです。

社会貢献の場/自己実現の場/自己成長の場/人と人とがつながる場

しゃらくせえよ。

日本には国民の4大義務の一つに勤労の義務があります。私たちは仕事をする義務を負っています。要するに、働け、と国から言われているわけです。しかしほとんどの人は働かなくてもいいなら仕事なんてしたくない、と思っているはず?です。それではどうやって国民を働かせればいいか?賢しい大人たちは考えました。

仕事にはやりがいや生きがいがある。そう幼少期から教えてしまえばいい、と。そして、日本は神様ですら働いているのだから働かなくてはいけない。古い書物や神話まで持ち出して教育と言う名の洗脳を行いました。こうやって長い時間かけて行われた洗脳の結果、現在の企業戦士が出来上がったわけです。こうして私たちは仕事にやりがいや生きがいを求めて生きていくようになりました。

欧米の神様は楽園で遊んで暮らしている

でも本当にそうなのか?実際はどうなのか?もちろん、仕事を生きがいにできる人、仕事をするのが好きな人、仕事に行くのが楽しみな人、こういう奇特な人もきっといることはいるんだとは思います。でもそんなのは少数派でしょう。長い洗脳の結果そう思わされているだけに違いない。

・・・いや、ひょっとしたらとっくの昔に洗脳なんて解けているけど、皆と違うことを言ったらおかしいと思われるから、皆と同じでなければいけない、そう自分に嘘をついて無理矢理仕事に生きがいを求めている人もいるのではないか・・・・・でも、もうよくないですか?もうそろそろ誰かがはっきりと言ってもいい。仕事に人生の生きがいなんて求める必要なんてない。周りに無理矢理合わせる必要なんてない

ちなみに私はもう仕事とは労働とは 我慢代 なんだと割り切っています。

やりたくないことをやる我慢代。

一日の内の大部分を拘束される我慢代。

嫌味な上司や馬の合わない同僚と過ごす我慢代。

ブラック企業にかかわらず、仕事や会社なんて大概そうだと思います。そもそも仕事に生きがいなんて求めること自体が無意味なことだと思います。

仕事がしっかりできないと人生もしっかりできない?

そんなことはない。嘘っぱち。そう言ってるやつはほっとけばいい。小さい頃に親に言われたことがあると思います。よそはよそ、うちはうち。仕事が生きがいだと思い込んで自己満足に浸っている奴に付き合う必要なんてありません。

趣味やプライベートを充実させる

でも生きがいや、やりがいのない人生はさすがに生きづらい。それじゃあ仕事以外に何に生きがいを求めたらいいのか?それはやはり 趣味 や プライベート に求めよう。と言うよりむしろ逆なんだと思います。趣味が生きがいだから、嫌な仕事も頑張れる。我慢してやっている仕事にも精が出る。モチベーションがわく。

趣味が生きがいであれば、自由に色々なものを選ぶことが出来ます。楽しくなければ止めればいいし、飽きたら変えればいい。でも仕事を生きがいにしてしまうとこうはいかなくなります。理解力のある理想的な上司、生涯の友と呼べる同僚・・・そんなものはドラマや映画やマンガの中だけで実際には有り得ません。

仕事に生きがいを求めて人間を高める、そんな夢物語はぽいっと捨ててしまいませんか。そして、仕事とは生活の為に仕方ないからやっている、と割り切って付き合うことにする。そう、やっかいなご近所さん、くらいに思って上手く付き合うくらいにしておいたほうがいい。

働くな、ということではありません。一生懸命働くことは良いこと。そうじゃなくて、趣味やプライベートを充実させるにはお金は必要だから、一生懸命働く。問題は人生のをどこにおけばいいかということです。軸が好きな趣味やプライベートであれば折れない。頑張れる。その軸が嫌いな仕事だと簡単にぽきっと折れてしまう。そして趣味やプライベートに比べて脆くて折れやすい

会社に使い潰された挙句あっさり捨てられる、心身共に壊される、そんな明日は我が身のニュースが日常茶飯事で起きています。私たちはそんな被害者にはならず、同じ轍は踏まず、クビにならない程度に内心舌でも出しながら適当に頑張ればいい。

頑張らずに生きる、そんな生き方というか人生観がタイに来て、住み始めて、ますます強くなりました。向上心がないと言われようが、現状に満足しているのならば、(無理に)より高みを目指す必要なんてないのだと改めて思います。