シリア内戦で虐殺行為?アレッポで何が起こっているのか?

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シリア政府軍がアレッポ市民を虐殺!?

一体シリアで何が起こっているのか?情報が錯そうしすぎている。いや本当は誰も状況を正しく理解していないのではないのか?反政府軍を支援していたから、というのが虐殺の理由らしいが意味が分からりません。それが本当かどうか知る由もないが、そもそもなぜ同じシリア人同士で殺しあうのか。いや殺し合いですらありません。虐殺です。

アレッポには大勢の女子供がいるといわれています。それじゃあただの虐殺行為。一部報道では、化学兵器を使ったとも報道されています。国連は、アレッポでは人権がメルトダウンしている、と言っています。アレッポは美しい町だった。いやシリア自体とても美しい国だった。こう過去形で書くことが非常に悲しいのですが・・・

まだ私がバックパッカーだった頃。あれは今から20年近く前のこと。首都ダマスカスは、「世界一古くから人が住み続けている都市」とも言われ、まるで楽園のような美しい町だった。そう内戦が起こる前までは。

当時シリアのダマスカスに青年海外協力隊として赴任していた、友人を訪ねに行った大学3年の夏。シリアはとても素晴らしい国でした。物価は安く、平和で治安が良く、夜中に歩いていても危険な感じは全くしませんでした。ご飯が美味しくないのとお酒が飲めないのが、玉に傷でしたが。

それでも毎日ドキドキしながら、市内を観光していました。日本人からすると、これぞ異国、という感じだった。匂いが違いました。そんなアレッポで強烈に覚えているのは、巨大なまるで迷路のようなスーク(市場)で、お隣のヨルダンにて別れた、日本人の女性パッカーと再会したこと。なんか前から見たことある娘が歩いてくるなーと思っていたら知り合いだった。ただ当時の中東旅行ではこんなことはよくあることではありました。

当時の中東旅行は大雑把に2ルートしかなく、

エジプトから入り、北上してレバノンかトルコに抜ける北上ルート。

トルコ、レバノンから入り南下してエジプトに抜ける南下ルート。

主にこのルートで、日本人も西洋人もほとんど全員同じルートで旅行していました。なので、どの国の、どの町に行くか、何泊するか、の違いは人それぞれありはしましたが、当時そんなにバックパッカー向けの宿が少なかった時代、エジプト、ヨルダン、イスラエル、シリア、レバノン、と必ずと言っていいほど見知った顔と再会していました。

それは主にゲストハウスの部屋やサロンで突然肩を叩かれて、追いつきましたよー、とか、いやー追いつかれちゃいましたかー、なんて会話が常にあり、それはそれは平和な光景でした。しかしさすがに迷路のようなスークでばったり会うとは思いもよりませんでした。そしてお互いに山のようなアレッポ石鹸を抱えていたのを見た時は、思わず、お前もか!!!、と言い合って笑いあったりしていました。

シリアはそれ以外にも、クラック・デ・シュバリエ、パルミラ遺跡ユーフラテス川、など見ごたえがある場所がたくさんあり、正直良い思い出しかありません。そんな大好きな国が、街が、今は破壊しつくされ見る影もなくなってしまいました。それだけでなく虐殺行為まで行われているとは・・・アレッポ市民が残しているツイートが生々しくて震えます。誰と誰が争っていて、誰が何を欲しがっているのか?かの地で何が起こっているのか誰か教えて欲しい。

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