海外移住日記第13話 タイで働くことを決意する

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3度目の”タイに来い”との言葉

海外で働こうと決めてまず考えたのは、日本の転職サイトや求人情報、ハローワークの海外案件を探す、紹介してもらって海外で働くという選択肢でした。しかし動き始めて分かったのですが海外案件はそもそも案件数が少なく、また条件が厳しい(TOEIC何点以上とか英検何級くらいならいいですが、海外での就労経験必須とか)まあ当たり前のことなのかもしれませんが。

それ以外にも希望の場所に行けない、日系企業は接待ゴルフ必須(休日に)などなど。それでは海外では働けますが、労働条件や企業マインドは日本のそれとまるで変わらない、そんな感じでした。それではわざわざ日本を離れる意味がありません。

そんな行き詰っている時に昔友人がタイで就職活動をしていたのを思い出しました。その時タイでの就職活動の一連の流れや転職会社のシステムを聞いていたので、その友人に相談してみることにしました。すると友人から素早い返信があり、タイの主要な転職会社を紹介してくれ、また担当者の名前まで紹介してくれました。

早速その担当者へメールを送り、こちらの意思を伝えました。するとそれからは展開が早く、翌日には国際電話がかかってきました。そのまま電話面談、そして語学力チェックなどが行われました。そして最後に言われたのがあの一言。”一度タイに来られませんか?”・・・またか。デジャブか。これはもう行くしかない。そう思いました。

両親には、”海外で働こうと思う”そう正直に言いました。2人は、ああやっぱりな・・・そんな表情をしていましたが、特に止められるわけでもなく、やりたいことをやればいい、と言ってくれました。そして、そんなことよりお金は大丈夫なのか?と金銭的な心配までしてくれました。

おいおい、優しすぎる、甘すぎるだろう私はもう35歳だぞ・・・いや違うな。私がもっとしっかりしていれば親は心配などしなくてよいのだ、そう思い反省しました。しかしこうなったら突き進むしかありません。

まずは出来ることするしかない。職探しです。35歳という自分の年齢も考えて。そもそも求人案件があるのか、需要はあるのかの調査をしに行くことに決めました。失業給付の認定日などの日程も考慮に入れてチケットの手配をし、善は急げということでタイに1か月ほど行くことにしました。

仕事を辞めたのが5月末。退職書類が届いたのが7月頭。そこから大急ぎで失業給付を受ける手続きをしました。そして最善かつ最短の日程を組んだタイに向かう飛行機の日時が、奇しくも私の36回目の誕生日でした。そうか36歳になってしまったか。この時点でタイに、と言うか海外に行くのは実に7年ぶりのことでした。

この時の私は、これからタイで普通に就職して、生活して、今度はタイの歯車の一つとして生きていくことになるのだと思っていました。それがまさか、今現在のような生き方になるとは、この時はまだ夢にも思っていませんでした。

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