不安定な世界の中で平和な日本

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2016年は近年まれに見るくらい激動の1年だったと思う。

将来世界史の教科書に載るような、そして後の歴史的な事件の火種になるような、

そんな出来事や大事件が頻繁に起きた1年だった。後世を振り返った時に、

2016年が歴史の分岐点だった、そう言われそうなことが満載な1年だった。

ISISの跳梁跋扈

ヨーロッパの移民問題

中国の覇権主義の拡大

フィリピンのドゥテルテ大統領就任

タイの絶対的国王プミポン国王逝去

アメリカのトランプ大統領就任

韓国の朴槿恵大統領弾劾、指導者不在

などなどパッと思いつくだけでこれだけある。

しかし私が気づいていないだけでもっとあるに違いない。

そんな慌ただしい2016年の師走のこの時期に、

新たな悲惨なニュースが駆け込むように飛び込んできた。

シリア、アレッポでの虐殺

駐トルコ ロシア大使の殺害

ドイツ、ベルリンでのテロ

何なんだ一体。もう2016年はお腹一杯だ。

これ以上の厄介ごとはもうごめんだと。

そういえばもう第二次世界大戦から70年以上経っている。

歴史の節目は何十年かおきにくるもの。

ひょっとしたら今がその時期なのかもしれない。

安定と動乱を繰り返すのは人間の愚かな歴史が証明している。

そして世界中に広がる言い知れぬ閉塞感。

やけくそになってISISに参加する人がいるくらい。

第三次世界大戦なんて起こらないという人がいる。

ただ第一次世界大戦の時も、第二次世界大戦の時も、

いつの時代の時も皆同じことしたり顔で言っていた。

もう戦争なんて起こらないよと。でも常に戦争は起きてきた。

大国同士の全面戦争が起こらなくても、キューバ危機のような、

代理戦争が各地で起こることがある。現代にソ連はいないが、

その代わりに世界覇権の欲望を丸出しにした中国がいる。

アインシュタインは、

第三次世界大戦でどんな武器が使わるか?そう聞かれ、

”第三次世界大戦についてはわかりませんが、

第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。”

そう答えたという。

科学の発展のために、人類の進化のために戦争が必要なのだろうか?

しかしその発展と進化のために私たち人間は再び石器時代に戻るかもしれない。

そんな不安定な世界情勢なのだが平和な日本ではそんな話を遠い遠い国の話として、

関心があまりなかったりする。仕方がないテレビでも新聞でもあまり取り上げていない。

でも、私たちには関係ない、私たちに危害が及ばなければ良い

これからの時代そんな言葉は通用しない。

そんな世界が壊れようとしている中、日本では連日マスコミが、

芸能人の不倫やスマップ解散、オスプレイの墜落、などを取り上げている。

このような事件がニュース番組のコンテンツを埋め尽くし、

あーだこーだとギャーギャーと騒いでいられる日本。

皮肉抜きで、日本は何と平和で良い国かと改めて思う。