海外で出会った稀代の奇人変人天才たち クレイジージャーニー

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人生40年近く生きてきて、色々な国に行き、色々な人に出会いました。そんな中、この人は天才だ!って思った人が何人かいます。急に懐かしくなったので思い出していこうと思います。


タイのチェンマイでタイマッサージの修行をしていた頃に出会った。当時チェンマイでは、かなりの変わり者として、良くも悪くも有名人でした。彼は自身を天才と称し、マッサージだけで重度のマヒを完治できる、と豪語していました。それが本当なのか嘘なのかは分かりませんが、マッサージに対する情熱は本物でした。

しかし行く先々でトラブルを巻き起こし、次々と居場所を変えていきました。私がチェンマイを後にしてからは音信不通になっていたのですが、何の気なしにSNSを確認してみるとなぜか豊胸マッサージをやっていました。その後は新興宗教の教祖をやっていると風の噂で聞きました。


シリアのダマスカスで出会った大学生のN君。イスラエルの首都エルサレムのインティファーダ(パレスチナ人のイスラエルに対する抗議デモ)に参加し、最前列でイスラエル軍に向かって石を投げていたリアルクレイジージャーニー。”イスラエル軍が威嚇射撃で撃った弾がすぐ近くを飛んでいきましたよー”と笑顔で語るその彼は少し怖かったです。


ブラジルのサルバドールで知り合ったJさん。何でも有名なサーファーらしく、上岡龍太郎のTVにも出たことがあるらしいとのこと。波が良いところを求め世界中探し周り、ブラジルのサルバドールに腰を据えた人。出会った頃、すでに3年ほどサルバドールに不法滞在しており、南米旅行者には有名でした。ちなみに私はその人が住んでいた長屋に泊めさせてもらっていました。

まあ、そんな変わった人との出会いが少なからずあったわけですが、そんな中でも一番ぶっとんでた人。それが、タイのチェンマイに住んでいた時出会った旅人Sさんでした。彼とはチェンマイで私が1年住んだホテルのフロントで知り合いました。出会った瞬間から気が合い、10年来の親友のようになっていました。男女なら恋に落ちているくらいでした。

そんな彼がそもそも旅に出たきっかけは最愛の恋人との別れでした。その別れの寂しさからの勢いで、まずは中国行きの船に乗り上海に到達。そして、そのまま中国横断。その後はそのままウイグルを抜け、中央アジアのキルギスタンに突入。キルギスタンの首都ビシュケクでスウェーデン女性に一目惚れされ何故か軟禁状態になるも、なんとか脱出しウズベキスタンの首都、タシケントに到達。

しかし、ほっと一息つき、市内観光していると突然後ろからタックルを食らう。後ろを振り返ると振り切ったはずのスウェーデン人の彼女がいたとのことでした。殺される、さすがにそう覚悟したらしいのですが、何とか話し合いで円満解決。その後、旅行を続けパキスタンに入り、パキスタンで絨毯を2枚購入(重量13キロ)。

それをバックパックに積んだままインドに到着。インドのカルカッタで伸びすぎた髪の毛を切ろうと思い、現地の理容院へ向かうも、そこで強烈なパーマをかけられ往年の松田優作ばりの髪型にされる。そのままの状態でネパール、タイと移動し、タイ北部のチェンマイへたどり着いたとのことでした。

そんな彼とはホテルのフロントで出会ったのですが、彼の第一声は”絨毯の上で一緒に紅茶飲みませんか?”でした。そんないかれた第一声に思わずうなずいてしまった私。そのまま彼の部屋に行き、既述のパキスタンから運んできたという絨毯の上で本当に紅茶を飲むことになりました。

それから彼とは色々なことを話しあいました。その後、彼がチェンマイにいる2週間ほどの間、ずっと一緒にいました。余程気が合ったとしか思えません。それこそ1日10時間以上は話していたと思います。そんな彼との会話の中で一番印象的だったのがこちら。

”これからは、肉食系、だの、草食系男子、だのはもう古い。”

”これからの時代に必要なのは、マグロ系男子 だ。”

”男は大地(ベッド)の上で大の字であれ”

”(はっ!)それじゃあ、Sさんマグロ教の教祖やって下さいよ!俺スポークスマンになりますから!“

・・・そんなことをお酒を飲みながらずっと話していました。そして後日Sさんから送られてきた写真がこれ↑これをご神体にしようとのことでした・・・うーん、懐かしい。マグロ教の教祖様元気かなー。


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