あれは確か、2002年の6月に開催された、日韓共催サッカーW杯、の時の話。韓国が審判を買収し、最悪の誤審が連発し、悪い意味で記憶に残った、この大会。その最中、私はタイの首都バンコクに居ました。今から17年近く前のこと。当時まだカオサンはバックパッカーの聖地でした。それは今の様に観光地化し、高級化するずっと前のことです。
私は知る人ぞ知る懐かしの、NAT2、というゲストハウスを定宿にしていました。どこのゲストハウスも大概そうですが、1階エントランス部分にはサロンがあり、そのサロンがバックパッカー達の出会いの場や社交の場にもなっており、また世界中から来た旅行者が日がな一日何をするでもなくボーっと座っていたりしていました。
例えば、あれは当時私がバンコクでマッサージ学校に通っていた時の事。朝7時頃に学校に行こうと宿を出ると1階のサロンに友人がボーっと座っていました。そして夕方の6時頃に宿に帰ってくると、朝と同じ格好で友人が1階のサロンにいる、そんなことが日常茶飯事のようにありました。
まあそんな今は懐かしい昔のこと。別にワールドカップを狙ってカオサンに居たわけではないのですが、どうせなら皆で我らが日本代表を応援するか、と日本人有志が集まることになりました。ちなみにタイではサッカー熱や人気がすごく、バーやレストランでは、ヨーロッパのサッカーの試合の映像が毎日のように流れています。
おそらくサッカーを見る目は日本人よりも肥えていると思います。また当時世界中のバックパッカーが集まるカオサン通りも、どの店でも朝から各国のワールドカップの試合の様子、前日の試合の再放送、スポーツニュースが、連日爆音で流れていました。まさにワールドカップ、サッカー一色でした。
そんな状況の中、皆さんご存知かと思いますが、我らが日本代表のサムライは、初出場した前フランスW杯の3連敗とは打って変わり、
初戦のベルギー戦 2-2の引き分け。
次戦のロシア戦 1-0で勝利。
3戦目のチュニジア戦 2-0で勝利。
何とワールドカップ初勝利だけでなく決勝トーナメント進出まで果たしました。この結果に私だけでなく日本中が歓喜の渦に包まれたことと思います。
しかしここれがきっかけで事件が発生します。当時カオサンでは試合に勝ったであろう国のバックパッカーが、その国のユニフォームを着ながらカオサン通りを練り歩いていました。そこでチュニジア戦が終わり日本が決勝トーナメント進出が決定すると、我々もやろうと当時行動を共にしていた一人が言い出しました。
しかしそこは奥ゆかしい謙虚な日本人の私達。散々逡巡しましたが、せっかくの記念すべき勝利、そして海外のノリというのも相まってカオサンを練り歩くことにしました。思いのほか他の国のサポーターからも、コングラチュレーション!!!と祝福をしてもらえ、あーやって良かったなー、なんて言っていると、突然筋骨隆々のファラン達(タイ語で西洋人一般の意)に絡まれました。
相手は何やら英語なんだか何語何だか分からない言葉で絡んできます。よくよく話している言葉を聞いてみると彼らはどうやらロシア人のようでした。ここから先は完全に意訳になりますが↓みたいなことを言っているようでした。
”てめーこのファッ〇ンジャップ!調子乗ってんじゃねーぞ!俺らは認めねーからな!ああん!!!ブチ〇すぞ!!”
初めは相手にしないように無視して立ち去ろうとしていたのですが、相手のあまりの剣幕に騒ぎが大きくなりギャラリーさえできてしまいました。こちらの騒ぎを大きくしないようにしていた大人の対応とギャラリーの好奇な目が、さらに向こうの何かに火をつけたのか、ついに手まで出してきました。と言ってもちょっと小突いてくるくらいな感じだったのですが。
ちなみに向こうは180~190越えくらいの筋骨隆々の(おそらく)ロシア人5~6人組。
それに比べこちらは170~180くらいの中肉中背の日本人5人組。
あからさまにこちらが不利と、周囲で見ていた観光客やタイ人は、あのイープン(日本人)達大丈夫か?みたいな感じで見ているようでした。
しかし当のロシア人もその周囲の人間も知らなかったのです。私を除く他の4人が皆タイに、ムエタイ修行、に来ていたということを。4人全員が着やせしており、脱いだらすごいことを。それぞれ、ボクシング、キックボクシング、空手、シュート、などの経験者で筋金入りの格闘バカで、そしてケンカ好きだったということを。
ちなみに4人中3人はすでにタイでムエタイの試合にも出ていて勝利していることを。残りの1人は試合にはまだ出ていませんでしたが、空手歴10年以上で極真空手3段だということを。というわけでロシア人に絡まれて不穏な空気になった瞬間に4人の友人は、一番のお荷物の私を最後尾まで自然に下げてくれて静かに戦闘態勢を整えていました。
そして件のロシア人がこちらに何度目かの肩パンチみたいなものを入れた瞬間、4人は突然ロシア人に襲い掛かりました。そこからはもう一方的でした。おそらく練習や試合では使えないような金的やみぞおちなどの急所を集中的に、いつ打ち合わせしたのだ?というくらい皆綺麗にコンビネーションを駆使して攻撃していました。そして気のせいだとは思いますが、皆嬉々として。
武道に一撃必殺なんてものはない、なんて言葉をよく目にしますが、そんなことはない。あるじゃないか、と思うくらいロシア人は簡単に崩れ落ちていました。私は加勢する必要もなく、と言うよりできないのですが、途中からは逆にやり過ぎている4人を止めてロシア人から引きはがすことに、全力を注いでいました。もういいから、警察来るから、早くいくぞ、と。
とどめを刺してボロボロになったロシア人を見下ろして4人は気が済んだのか、私と4人はギャラリーが凍り付く中、一目散に現場から逃げ出しました。後に、既に崩れ落ちて戦意を失っているロシア人をなぜあんなに執拗にぼこぼこにしたのか、そう尋ねると友人は笑いながら、
中途半端にやると後で反撃されるかもしれないでしょ?やるなら二度と歯向かってこないくらい徹底的にやらないと笑
そう言っていました。こいつらの敵じゃなくて本当に良かったと思いました・・・・・海外で体験した危険な経験、と思って書き始めたのですが、よくよく読み返してみると私が危険な目に遭ったというか、どちらかと言うと私たちが危険な目に遭わせた話になっています。ちなみに上記の事件があった直後、私はロシア人からのもしもの報復を恐れ、すぐにチェンマイへと移動しました。