蒙古襲来の真実~信用してはいけない日本の歴史教科書2

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戦闘国家、日本。戦闘民族、日本人。神風により運良く勝利したと教えられた元寇。私たちの知る歴史では、日本は馬鹿みたいに弱くて元軍にいいようにやられるも、2回とも神風(台風)が吹き、勝手に蒙古軍が自滅したことになっています。しかしながら、事実は大きく異なります。

実際は運良く勝利したのではなく、勝つべくして勝った、むしろ、日本軍が元軍をぼこぼこにした、というのが元寇の真実です。辺境の島国、日本の軍隊が、ユーラシア大陸を制覇しかけた当時最強のモンゴル軍に勝った?嘘だ!?そう不思議に思う人もいるかもしれません。しかし、実はそれぐらい鎌倉幕府軍は強かったわけです。

実際、向こう側の歴史書の文章には、「夜に小舟で乗り込んできて、大船の兵を皆殺しにされた、怖い!」とか「海に突き落としたのに鎧着たまま泳いでた、なにあれ怖い!助けて!」とか「死にぞこないのじじいが自殺としか思えないような攻撃をしてくる。怖い!」みたいな記載があると言われています。

事実は分かりかねますが、大東亜戦争の日本軍の戦いぶりを歴史で学ぶと、我々日本人の祖先ならばやりかねないと思います。というか我らが祖先ながらむちゃむちゃ怖い。しかも、本軍(鎌倉軍)を待つまでもなく九州の軍勢だけで戦って撃退したっていうのも何気に凄い話です。

ちなみにそんな日本防衛武士団の勇敢?蛮勇?鬼畜?な逸話の数々が記録に残っています。文永の役の時。約900隻で約26,000人もの兵士が日本へ向かってきた元軍。九州への途中にある「対馬・壱岐」では男性は皆殺しにされ、女性は手のひらに紐を通され矢よけのために船のふちに並ばされたて肉の盾にされたとのこと。モンゴル軍恐ろしい・・・と思いきや、真に恐ろしいのは実は日本軍の方。

実は日本軍は、この対馬・壱岐での様子を伺っていたという説があります。つまりこの二つの島を捨て駒にして、相手の戦法や軍勢を推し量っていたというのです。そして、そんなことは知らずに意気揚々と博多に上陸する元軍。そんな元軍相手に日本軍は首級(褒賞)目当てに襲い掛かります。

また、日本史の授業では、日本軍は元軍に対して「やあ、やあ我こそは・・・・・」と名乗っている間にやられた笑みたいな話がありますが、それも事実ではないそうです。もちろんした人もいたようですが、大半はそんなことはせず、バリバリ集団で攻め込んでいたようです。それこそ人質なんてお構いなしにガンガン襲い掛かったとのこと。

ちなみに元側の記録にも「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。」という記述があります。つまり「兵隊は弓と刀を装備していて鎧を着込んでいる。騎兵は集団戦法で連携してくる。」と書かれています。また記録では「人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」とあります。つまり「あいつら勇敢すぎて死ぬのを恐れてない、怖い」とも記されています・・・相当苦戦したもようです。我らが祖先ながらマジ怖いです。


蒙古襲来の真実