蒙古襲来の真実~信用してはいけない日本の歴史教科書3

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日本防衛武士団の勇敢?蛮勇?鬼畜?な逸話の数々の続き。次に元軍は、日本軍の戦意を削ろうと大将の首を振りかざします。およそ大陸の戦いでは、大将の首を取られると大概相手側の軍隊は、戦意喪失総崩れとなります。例がマンガで恐縮ですが、人気漫画”キングダム”でも同様のシーンがよく描かれています・・・

しかし、そこは戦闘民族・日本人。大陸人とは一味違います。戦意喪失して蜘蛛の子散らすように逃げるなんてことにはならず、逆にその首取り返そうと一層勢いよく攻め込んでいったそうです。そしてこれには元軍訳が分からずパニック状態になったといわれています。

・・・まあ、日本軍側の心理からすると、大将の首を弔うためにも取り返さないといかん!って気持ちなわけです。同じ日本人としては理解できますが、元軍には理解不能だったことでしょう。おそらく元軍には日本軍が、蛮勇を通り越してイカれた戦闘狂・戦闘種族、に見えたのではないでしょうか?

また、「てつはう」という、火薬が炸裂する手榴弾的なもので日本軍が苦戦した、と教科書では習いました。しかし、どうやらこのてつはう、撤退用の武器だったともいわれています。追撃してくる敵に向かって投げることで足止めするというもの。これは一定の効果があったようです・・・・・「馬」には。

鎌倉武士団は馬を置いてお構いなしで突っ込んできたそうです・・・日本軍我らが祖先ながらマジ怖い。ちなみに蒙古襲来絵詞では、詳しい説明は省き、一部分だけ見せて、さも日本が苦戦してますよと言うイメージの植え付けのみで、元軍が逃亡している場面は見せてはいません。日本の歴史教育ではそれだけ武士は過小評価されているわけです。

こんな感じで戦いが一週間ほど続いていた文永の役。ここでついにやってきます「神風」が。ちなみに冬季の玄界灘は大荒れの季節だそうです。11月はまさにそんな時期。そんな場所に一週間も停泊していたバカなモンゴル軍。しかし、海が荒れ狂うので、これ幸い、撤退する理由ができた、と喜び勇んで撤退しようとします。

まあ、当然と言えば当然の判断です。そもそも、時期と場所が悪い。バッチリ待ち構えられて応戦され、内陸まで上陸できなかった時点でこれ以上滞在していても消耗戦になるのみです。背水の陣で戦わなくてはいけない時点で詰んでます。日本海は天然の要塞です。こうして台風が決定打になったとはいえ、それ以前に日本軍のぼろぼろにやられていたわけです。


蒙古襲来の真実