蒙古襲来の真実~信用してはいけない日本の歴史教科書4

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あまり知られていない元寇のポイントとして神風の持つ意味があります。それは、元寇を、日本の神と異族の争い、という観念におきかえるというもの。祈祷による日本の神の力で起こした神風により、異族に勝利したのだと宣伝されたことにあるとされています。

またリアルな話として、第二次世界大戦戦時中、劣勢の中、国民意識を高めるため、教科書に、台風により勝利した、という記述が追加され、代わりに武士の奮戦については削除されるようになりました。つまり昔も今も政治的なプロパガンダとして使われたわけです。

さて、そんな元軍ぼろ負けで終わった文永の役から7年後の1281年。2回目の弘安の役が起こります。派遣された元艦隊は世界最大規模の艦隊で、軍船4400艘、14万〜16万の兵力を有していたとされています。征服した南宋の兵を従え、前回の3万より遥かに多い軍勢を日本へ遠征させます。

日本側、つまり幕府は、前回、元からの使者を無視して帰らせたばっかりに地形などの情報を堂々とスパイさせてしまっていました。今回はそうさせないように使者をことごとく切り捨てました。そんな斬首の知らせが元に届いて、しばらくしてからの二度目の遠征(弘安の役)となりました。

元軍は東路軍4万江南軍10万の二手で日本を襲います。そうしてまず日本へ到着したのは東路軍。九州へと近づくと、そこにはびっしりと張り巡らせた防塁があります。そう。完全に準備万端で迎えうった鎌倉武士団。

前回の4倍強で意気揚々と攻めてきた元軍。さぞかしびびっているだろうと日本軍を見てみると・・・用意万端準備万端。元軍と負けず劣らず意気揚々。今度こそ全滅させる!と士気も最高潮。元軍の兵士は思ったことでしょう・・・話が違う、と。聞いていた話と全然違う。楽勝な戦いちゃうんかいと。

そう。日本軍は、あれからいつ攻め込まれてもいいように博多・大宰府の防衛に力をいれていました。海岸線にはびっちり延々と続く2メートルを越す防塁が築かれ、武士団を配置していました。さらにそんな日本軍と対峙するためには、さらにその手前にある罠の数々を抜けていく必要があります。

しかし、そんな 黙ってみているわけがありません。頭上から雨のように矢を降らせます。そんな所に近づける訳もなく、後退を余儀なくされる元軍。しかし、我らが祖先、戦闘民族日本軍が大人しくそれを見届けるわけもなく、後退する元軍に夜襲祭りが始まります。夜襲して夜襲して夜襲しまくって、元軍を眠らせません。

さらに牛馬の死体をほりこむプレゼント付き。時期は夏ごろでしたから絶大な威力を発揮する生物兵器だったでしょう。夜襲だけでなくバイオテロまでされちゃボロボロです。しかも夜襲時に海に落とされても平然と船上に上がってくる日本軍。鎧着ていても船に上がって攻撃してくるなんて、元軍からすれば地獄の鬼か悪魔かと思うでしょう。元軍に同情するレベルです。


蒙古襲来の真実