蒙古襲来の真実~信用してはいけない日本の歴史教科書5

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弘安の役にて。4倍強の軍勢にて攻め込んだ元軍。しかし、日本軍も用意万端準備万端で待ち構えています。さらにそもそも日本軍からすれば、籠城戦であり守戦、かつ地の利があり、有利な立場にあります。それに加えて、日本海、という天然の要害。元軍は自動的に海しか逃げ場のない背水の陣となります。

そんな状況下、罠や降り注ぐ矢があるのを知りながら上陸する・・・目の前で同軍の兵士がバタバタとやられていくのを知りながら、見ながらも上陸するしかない、その絶望たるやどんなものでしょう?しかも、日本軍は元軍をまともに寝させません。夜襲に次ぐ夜襲をしかけます。

元軍の心境としては、「早く!早く来てくれっ!!江南軍!!!」だったでしょう。しかし、そんな願いも虚しく江南軍は一向に来ません。というわけで元軍は、博多どころか、満足に上陸することもできないまま船に缶詰め状態。さらに日本軍による度重なる夜襲とバイオテロにより疫病が蔓延。

そんな中やっと東路軍は江南軍と旧暦の7月に合流を果たします。しかし、やっと合流したと思ったら江南軍もボロボロでした。なぜなら江南軍が通ってきたのは鑑真が失明したルート。無事に合流できただけでもハッピーです・・・そうして合流したのが旧暦の7月?これを新暦に直すと8月になります。

そう、日本人ならご存じ台風の季節。日本では昔から変わらずこのタイミングで台風が来ます。再び神風来臨。日本マジ神の国。そんな台風下、沖に停泊した船が無事で済むわけもなく多くの死者が発生します。そして、この惨状を見て指揮官たちは10万の兵を見殺しにそそくさと逃亡してしまいます。

残存兵は撤退用の船を建造するために「鷹島」へ立てこもります。そこに掃討作戦をかける日本武士団。疲労困憊、武器・食料不足、疫病、指揮官不在、絶望役満の元軍は総崩れになりました。結果、2万人ほどの投降兵が奴隷になり、それ以外は戦死・処刑されたとのことです。

そして鷹島には・・・血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、といった地名が残されることとなりました・・・何が行われたのか?日本軍マジ怖い。かくして元寇は日本側の圧勝で幕を閉じました。「神風」という名の台風は来るべくして来ただけで、台風がなくとも武士たちは強かったようです。

強いて言うなら日本海最強ということでしょうか。ここまで攻め込む側が不憫に思われる戦いもそうそうないでしょう。まったく日本武士団に喧嘩売るような人生は送りたくありません。ちなみに元寇により、中国王朝では、日本脅威論が形成されるようになり、日本征服論を抑える抑止力となったそうです。


蒙古襲来の真実